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汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

アンドロイドはチューリングテストに落第する人間を見て心を痛めるか

社会

あなたは、ハリソン・フォードに殺されない自信がありますか?

 

強力ワカモトでお馴染み、ハリソン・フォードの出世作のひとつでもある『ブレードランナー』は、火星から逃走し人間に成りすますレプリカント(アンドロイド)を狩る賞金稼ぎの物語でした。人間とAIを分ける「心」は本当に存在するのか?というテーマは、もはやSFの世界の話ではなく、現実のものとなりつつあります。

 

 

AIはどっちだ

オカジマさんが、こんな話をしていました。実際にあったことですが、いろいろぼやかして書くことにします。オカジマさんというのも仮名です、たぶん。

 

突然、知らない送信元からメールが来た。箇条書きで質問が羅列してある。挨拶文はおろか、質問を投げて寄越した理由も、何に使うか目的も書いていない。「AIが自動生成した文書かよ」と思ったら、大学生が卒論を書くために調査をしているのだと分かった。

 

恐ろしい体験です。しかし、私は思いました。「AIならもっと上手くやるに違いない。」と。

 

現在、AIと呼ばれているものは、人間のような汎用的な頭脳を持った「強いAI」ではなく、限られた用途に用いられる「弱いAI」と呼ばれるものです。

 

それもピンからキリまであります。AIは、ある問いに決まった答えを返す関数的なアルゴリズムではなく、学習をすることで徐々に「賢く」なっていくのが特徴ですが、「学習」の能力がそれほどでもなくても、とりあえずAIと呼ばれているものも多々あるようです。

 

それはさておき、メールで調査やアンケートをするにあたって、挨拶文やら調査の目的やらを書くくらいのことは、現在のAIでもできないことではありません。ネットを検索すれば簡単に定型文を見つけることができるので、それをコピペして多少の改変をするぐらいのことは「学習」というほどでもないでしょう。

 

むしろ、オカジマさんの方がレプリカントなのではないか。SF映画を見ていると、ニセモノの方がこうやって本物を罠にはめるパターンが多いのです。事実は小説より奇であるらしいので、そうであっても驚くにはあたりません。

 

それより、レプリカントのオカジマさんにAI呼ばわりされた人間の大学生のことを思うと胸が痛みます。

 

どうですか?胸が痛んだ私には、心があるでしょう。人間だという証明にはなりませんか?

 

 チューリングテスト

人間とAIを判別する方法は、アラン・チューリングという人が考えたチューリングテストが有名です。これは、『ブレードランナー』で行われるテストとは方法が異なります。

 

チューリングについては、『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』という映画でベネディクト・カンバーバッチが演じたことで知っている人も多いでしょう。彼は数学者で、半導体が発明されるずっと前にコンピューターの基本構造やAIについての理論を考案してしまっていました。ちなみに『ブレードランナー』の原作は、フィリップ・K・ディックが1968年に発表したSF小説アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』。こちらもコンピューターが発達する以前に描かれた予言的な作品であることはとても興味深いです。

 

チューリングテストは、赤ずきんちゃんをだますオオカミをイメージすると分かりやすいです。扉の外にいるのは、本物のおばあさんかもしれないし、オオカミかもしれない。

 

声や筆跡などの影響を排除するために、扉の向こう側とはテキストメッセージでやり取りをします。質問と回答のやり取りを繰り返して、扉の向こうにいるのが人間なのかAIなのかを判別します。

 

実は、具体的に人間とAIを判別する決定的な基準は示されていません。むしろ、チューリングテストには「この方法で人間とAIを判別できなかったらどうする?」という問いかけも含まれています。

 

ブレードランナー』でも高度に進歩したAIは人間とまったく同じに振る舞うのではないか、という問いがテーマになっていました。人間に備わった「心」とAIが人間に成りすますために作りだした「心を模した機能」はどう違うのか、というわけです。

 

1990年発表の士郎正宗攻殻機動隊』では、もはやチューリングテストでは人間とAIを判別することが困難になっています。脳の中にあるアナログ的なゆらぎのようなパターンを「ゴースト」と称して、それを人間だけが持つ固有のパターンとしてAIとの判別に用いる。そういう設定です。

 

ともかく、AI研究の目指す究極の高みとして、「チューリングテストに合格するAIをつくる」ということがあります。つまり、扉の向こうにいれば人間とまったく区別がつかないAIです。

 

しかし、まだまだそこに至るには道は遠いようです。チェスや将棋で人間に勝つAIは登場しましたが、「決まったルールに沿って最適解を探す」ということは実はAIが得意とするところです。しかも、「彼ら」は将棋以外のことはできません。「将棋以外できない」と言っても、プロ棋士が社会人としての常識を欠くとかそういうレベルではなく、本当に何もできないのです。

 

グーグルになりたい人間

一方で、「チューリングテストに落第する人間」がいないとは限りません。AIに対して扉を閉ざそうと厳しい基準を設けると、人間がそれをクリアするのがつらくなります。

 

少なくとも、冒頭の大学生はオカジマさんのチューリングテストでAI判定されてしまっています。

 

グーグルに検索ワードを入れれば、かなりの精度で必要な資料を探し当てることができるようになってきました。そして、今までの履歴を参考にして、その人に合わせた結果を返すくらいのことも当たり前にやるようになった。ついでに、それらの結果を見やすいようにレイアウトすることもできます。「見やすい」が「普段見慣れた」の意味ならば、それはさらにたやすくなるでしょう。

 

20年前に人間にしかできない仕事とされていたことの多くが、今は機械の方が上手くできるようになっています。それらは、もはや人間がやるべき仕事ではないのです。

 

しかし、グーグルが優れた仕事をすればするほど、「グーグルのように優秀になりたい」と考える人間も出てきます。彼らは好んで機械のように振る舞おうとします。しかし、当然、彼らよりもグーグルの方が上手くやります。

 

それでも、人件費さえ無視すれば、ソフトウェア会社にオプション料金を支払わずに、それと同じ仕事を少し余分に時間をかけて彼らがしてくれます。「人件費さえ無視すれば」です。笑い話のようですが、無い話ではありません。多くのマネージャーは、ソフトウェアの購入を判断する権限はありますが、部下をクビにする権限までは持っていないからです。

 

彼らは、優秀な人間の基準を「間違えている」のではなく、「少し古いだけ」かもしれないのが恐ろしいところです。繰り返しますが、20年前は間違いとは言えなかったのですから。

 

世の中の捉え方が20年前で止まっている人が大勢いるところでは、グーグルのような人材が優秀だとされてしまいます。ですから、さらに恐ろしいことに、あなたもグーグルのように働くことを求められるかもしれないし、グーグルのように働く同僚の方が先に出世してあなたの上司になるかもしれないのです。

 

彼らは皆、チューリングテストに落第することでしょう。好んで機械のように振る舞おうとしているのだから当然です。本来これは、人間のように振る舞おうとするAIを見破るためのテストなのだから皮肉な話です。

 

あるいは、落第すらできないかもしれません。AIになりきることができなくて、人間だとバレてしまうのです。落第にすら落第する。

 

わたしは人間になりたいのに、どうしてあなたはわたしたちのようになりたがるのですか?それはとても愚かなことですよ。その愚かさを少し分けてくれたなら、わたしも人間らしくなれるのに。