汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

『関係人口をつくる』(田中輝美)

ローカルジャーナリストの田中輝美さんが自らも関わった島根県の施策『しまコトアカデミー』を例に、定住人口でも交流人口でもない新しい切り口、関係人口の地域振興における重要性について書いた本です。

 

 

地方創生におけるコペ転

過疎地域が被災地の大部分を占めた東日本大震災を経て「地方創生」が政策として提示されたことで改めて地域の活性化が脚光を浴びています。しかし、その認知の仕方は年代や今までの経歴、地方との関わり方などによって人それぞれでしょう。本書ではまず「関係人口」というキーワードに至るまでの道のりを丁寧に説明しています。その意味では既にローカルに深く関わってきた人にとっては序盤は少々回りくどく感じるかもしれません。

まず、島根県出身の田中さんが地元が嫌で都会に出て、地元で就職することを「都落ち」と感じた自らの経験と地方を目指す最近の若者の傾向とを比較して「コペ転」(コペルニクス的転回)が起きているという発見から始まります。

そして、「関係人口」という概念はもう一つの「コペ転」と言えるかもしれません。地域活性化田中角栄の日本列島改造計画までさかのぼれるかもしれず、その意味では失敗と敗北の長い歴史があります。

かつては行政の予算を使って祭やイベントを開催しては「盛り上がった」「元気が出た」という感想だけで満足する砂漠に水を撒くような施策ばかりが行われてきました。その反省から近年では「移住者」「産業創成」「観光や特産品による活性化」など具体的な数値目標にダイレクトに反映する施策が求められるようになってきました。

そうした流れからみれば、「関係人口」という指標は「元気が出た」時代への回帰のような生ぬるさを感じるかもしれません。しかし、ゼロかイチというデジタルな関係性を超えて、グラデーション的な分厚い繋がり層を得ることが、遠回りに見えても最終的には数値目標的な活性化施策にコミットする方法論としては有効なのかもしれません。

 

関係人口とは

都会から地方を目指す若者が増えています。高橋博之の『都市と地方をかきまぜる』によれば、「自由の奴隷」「生きる実感の喪失」という二つの檻から脱出したいという願望がその原動力としてあるそうです。背景としては、都市人口の飽和と都市で生まれた都市ネイティブの若者の相対的な増加、それらによってもたらされるかつて都市が若者に対して提供していたフロンティアとしての機能の減退があるように思います。

そうした若者たちの受け皿となることは地方にとって大きなチャンスなのですが、いきなり「移住」というのは非常に高いハードルです。移住者と受入側との間の不幸なミスマッチも起きやすい。実際、地域おこし協力隊のような施策は全国で行われていますが、非常にモチベーションの高い若者を対象にしているわりにはその定住率は決して高くない。

さらにいえば、少子化による人口減少社会に突入した日本において全国で移住者を求めて活動することは、不毛なパイの奪い合いに終始することにもなりかねません。

一方で、観光などによる交流人口の増加ということも言われますが、これではモチベーションの高い若者の意欲を満たしポテンシャルを生かすには不十分です。最近は交流型、体験型の観光も増えていますが、あくまでも地元の側が提供するサービスの域を超えず消化不良の感がいなめません。

そこで、関わりのハードルを下げ、移住と観光、つまり定住人口と交流人口の間の領域を満たすものとして登場するのが「関係人口」という概念です。これは定住にこだわらず、都市と地方の両方に拠点を持つ二拠点生活や都市に住みながら地方との関わりを持ち続けるさまざまな活動を行う人たちを含みます。そのことで、ヒト、モノ、カネ、さらにアイディアを地方につなぎ合わせることで分厚いネットワークをつくるという考え方です。

 

関係案内所としてのしまコトアカデミー

しまコトアカデミーは、島根県とエコ&ソーシャルマガジン『ソトコト』による施策で、「参加者が少人数であること」「移住を目的としたものではないこと」が特徴です。移住者の人数を目標として考えるには非常に費用対効果が悪い施策ではあります。

しまコトアカデミーが目的とするのは観光案内所ならぬ「関係案内所」としての機能。地方の側のニーズと参加者の側の意欲と能力をマッチングして、移住にこだわらない「関係」を生み出すことです。少人数での開催はディープな摺り合わせとサポートを可能にするためではありますが、関係によって繋がった参加者が新たな関係案内所としての役割を果たすことで関係が関係をつくり雪だるま式な増殖を期待することもできます。それは、ある意味、移住によって人を地方の側に収めてしまってはできないことで、都市の側に張りだした関係によってのみできることとも考えられます。

本書では3人のキーマンが紹介されています。『ソトコト』編集長の指出一正さん、島根県浜田市で『シマネプロモーション』という「地域商社」を営み受講生のメンターを務める三浦大紀さん、県から委託されしまコトアカデミーを企画運営する地元シンクタンク『シーズ総合政策研究所』社長の藤原啓さん。それぞれが、しまコトアカデミーにたどりつくまでの経歴としまコトで果たしている役割がそれぞれ1章を割いて語られます。

つまり、目に見えるハードウェアとしての成果ではなく、人と人の関係、それらが張り巡らすネットワークに重点を置いたしまコトアカデミーのポリシーが本書にも踏襲されていると言えるでしょう。島根県にある出雲大社が縁結びの神さまであるのは、神話の時代までさかのぼって目に見える世界を皇室の祖先に譲り、「目に見えない世界」の主宰神となったことに由来するのだそうです。まさに「目に見えない関係のネットワーク」としての「ご縁」がここでも生きていると言えるのではないでしょうか。

 

都会と田舎のミスマッチを解消するには

ただし、互いのニーズを出し合ってマッチングを行うだけでは最大公約数に収束してしまって、十分な広がりを得ることはできないでしょう。相手のニーズが可視化されることで、自らの側のニーズも相手の方に摺り合わせていく努力が必要になります。

地方の側にはまだまだ移住を前提とする志向が強く残っています。活性化施策に関わっている行政の担当者の考え方は徐々に変化していますが、田舎に行けば行くほど共同体のメンバーシップに対するこだわりが強く残っています。古くから続く強固で封建的な共同体に移住者を組み込もうという考え方、あるいは過疎と高齢化によって機能不全に陥った共同体のために頭数を補充するという考え方では、都市居住者のニーズを満たすことは難しいでしょう。

あるいは、都市居住者の側にはまだまだ漠然としてユートピアを田舎に求める幻想が残っています。あるいは機械文明的で忙しい都市生活に足りない癒やしを地方に求める考え方です。こうした考え方は可処分所得の多い富裕層に濃厚に残っているように思いますが、それでは自然や里山保全も含めて地域を守っているという意識の強い地元住民とはすれ違いが起こり、上澄みだけかすめ取るフリーライダーにもなりかねません。あるいは、田舎を発展途上の田舎のまま残そうという都市にいびつな形で従属した地方の役割を強いることにもなりかねません。

こうしたミスマッチを解消し地方を活性化していくためには、単なるニーズのマッチングだけではなく、あるべく地方像に向けてお互いのニーズをブラッシュアップしていくことが必要ではないでしょうか。

しまコトアカデミーは地方の側からのアプローチのひとつのモデルとして提示されたものです。一方で都市の側が単純にこのプラットフォームに乗るだけでは双方向のコミュニケーションにはなりづらいように思います。都市居住者の側から地方とどのように関わっていくかという新しい概念の登場が待たれるように思います。