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【おんな城主直虎】(40)城勤めは気楽な稼業ときたもんだ

第40回「天正の草履番」という副題は、本作と同じ森下佳子脚本でドラマ化された「天皇の料理番」から。

 

徳川家の草履番として浜松で働き始めた万千代と万福。しかし、万千代が松下の名を捨て井伊の家名を復活させたことで、松下家の人々や井伊谷を預かる近藤らも巻き込んで騒動になる。万千代を叱責しに浜松を訪れたおとわは家康と会談。万福からも話を聞き、万千代の思いに理解を示す。万千代の義父・源太郎は家康の裁定を受け容れて、万千代が井伊を名乗ることを許す。そして、万千代は働きが認められ、小姓に出世することになる。

 

 

サラリーマンの時代

万千代(菅田将暉)が徳川家に小姓として仕えることを選んだのは、井伊家を再興し家臣と領地領民を取り戻すためだ。万千代が養嗣子となり後継が約束された松下家は、徳川家の遠江進出の功労者ではあるが、かつての井伊と比べれば規模は小さく、領地を増やす機会も恵まれているわけではない。たとえるなら、零細の町工場を継ぐようなものだ。

 

それに対して、城勤めをして家康(阿部サダヲ)の側近に取立てられれば立身出世の機会もある。事実、のちに徳川四天王と呼ばれる本多忠勝高嶋政宏)や榊原康政尾美としのり)も三河武士団の中では決して家格の高くないが、家康に重用されて出世した。そうした徳川家の新たな気風に万千代も賭けたのだろう。

 

寅さんで有名な『男はつらいよ』の初期作品では、寅次郎は団子屋を営む叔父夫婦や裏の工場のタコ社長を軽んじて、「これからは勤め人の時代だ」という趣旨の発言をする。自身はカタギの自営業ですらないフーテンの寅次郎にそんなことを言われる筋合いは無いが、昭和40年代にはサラリーマンを花形職業ととらえる時代の空気が確かにあった。天正という時代もそれに似ている。

 

一所懸命という言葉が生まれたように古くから武士というのは領地と一心同体の存在で、どれほど狭くとも領地を持って一人前という気風があった。それに対して、領地を持たない武士というのは主人の所有物とそれほど変わらなかった。したがって、城勤めというのは決してステータスのある仕事ではなく、家を継ぐ前の若い侍、継ぐべき領地の無い次男、三男、そして領地を失って諸国を流浪する浪人などが就くものだった。

 

しかし、戦国の世になり大名へ権力が集中するにつれて事情は変わってくる。内政でも軍事でも大名直属の精鋭部隊の役割が大きくなり、城勤めは数的にも拡大し質的にも重要度が増してくる。大名同士の競争が激化する中で「本社機能」の拡充が求められたわけだ。

 

求められる仕事の内容が高度化する中で城勤めは有能な者にしか務まらない職種になり、大名の側近くに仕えて能力を認められた者はより重要な権限を与えられることになる。そうして、城勤めは立身出世のためのエリートコースとして高いステータスを持つ仕事になっていく。

 

松下家の叔父・常慶(和田正人)の時代とは城勤めを取り巻く環境は大きく変わった。そして、「城勤めの時代」というのは、直虎がかつて目指した「国衆の自主自立」が大名権力に敗北した後に訪れた新しい時代でもある。

 

今川家の人々

万千代を叱責しに浜松を訪れたおとわ(柴咲コウ)は家康に招かれて会談する。家康とは徳川家の遠州侵攻時に井伊谷城の牢で会って以来のことになる。今川家全盛の幼少時代から二人は常に近くにいながらすれ違ってきた。その頃にはまったく想像できなかった時代が訪れ、二人の境遇も大きく変遷してきた。

 

おとわは直虎として井伊の城主となるが、のちに井伊家は滅亡し一族は離散。今は農民の身分で井伊谷にいる。一方、今川の人質だった家康は三河遠江を治める大名となった。おとわと初めて会ったときには、まだ家臣団の突き上げに抵抗できずにいたが、現在では家康の方が主導権を握れるほどに成長している。

 

家康の徳川家中での権力拡大の理由としては、まず三方原の戦いがあるだろう。惨敗を喫したものの強大な武田軍に対峙して勇気とリーダーシップを示したことで家臣団の信頼を得た。

 

そして、もうひとつは有能な側近の登用だ。徳川家臣団というのは、もともと古い地縁血縁で結びついた三河平野の地主の寄り合いなようなものだ。時には国家権力を監視し制限する議会のように、大名に対して抵抗勢力のように振舞うこともある。そのため、家康が家臣団に対して主導権を取って彼らを制御し導いていくためには、大名の手足となって働く有能な側近が必要になる。万千代もまたそうした側近の候補して期待されているのだろう。

 

家康のアイデンティティはどうやら駿府の人質時代にある。不遇の時代ではあったものの、彼のこころは三河にはなく、駿府の今川家のサロンの一隅を本来の自分の居場所だと認識しているようだ。おとわへのシンパシーもやはり、ともに今川に隷属する国衆の出身であることから発しているのだろう。運命がひとつボタンを掛け違えていれば、井伊と徳川の立場は反対だったかもしれない。そして、二人の思考に似たところがあるのも今川の覇権の下、幼い頃から同じ境遇でよく似た経験を重ねてきたことによるのかもしれない。

 

そして、もうひとり、駿府のサロンの生き残りがいる。今川家を潰してしまった氏真(尾上松也)だ。この物語があの日の少年少女たちのその後の人生を追うものであるならば、彼が退場するわけにはいかない。

 

京に上った氏真は、仇敵・信長(市川海老蔵)の前で蹴鞠を披露するように申しつけられる。氏真は「戦ばかりが仇の取り方ではあるまい」と言って受け容れる。これは氏真の五輪憲章的平和主義を表現しているようにも思える。しかし、どこかで後ろ暗いはかりごとを含んでいるような気がしなくもない。いずれ訪れる信長の非業の最期の陰に氏真の暗躍があるのかどうか。

 

 

少子化時代の子育て論

万千代の井伊家復興の計略は当初の計画に反して丸くは収まらず、大人たちを巻き込んでの大騒動になってしまった。しかし、おとわや家康、源太郎(古舘寛治)などの奔走の結果、雨降って地固まるように事が収まった。

 

万千代の策士としてのデビュー戦は反省の多いほろ苦いものにはなったが、結果がついたことで成功体験として残った。野球にたとえれば、打線が点を取りまくって新人投手に勝ちを付けたようなものだろう。内容が悪くとも結果よければ次に繋がる。失敗は成功の母というが、勝負師の世界では負けたトラウマが決断を鈍らせることがある。

 

若い万千代のプランを大人たちがメイクすることで、家康に天下を取らせた軍師・井伊直政が世に出ることになる。万千代を取り巻く世界は、戦国時代では珍しい「子どもの少ない世界」だ。大人たちは多く、万千代と同世代の子どもたちはほとんど見当たらない。つまり、少子化の現代のメタファーだ。そして、少子化の時代に子どもの成長に大人たちがどのように関わるべきか、ということも暗に示している。

 

万千代は工夫を重ねて草履番の仕事を芸術の域まで高める。「替えが利かない」ことは自分の価値を高めるにはよいことだが、代りがいないために草履番の仕事から離れられなくなってしまう。出世するには今の仕事を後進に譲らねばならず、そのためには仕事の特殊化ではなく一般化が必要なのだ。

 

万千代はその才気を発揮しているものの、今のところは裏目に出ることばかりだ。それでもチャンスが途切れないのはこの若者の幸せだ。次回へ続く。