汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(37)もろく儚いしあわせ

第37回「武田が来たりて火を放つ」という副題は、金田一耕助シリーズ「悪魔が来たりて笛を吹く」から。

 

3年の月日が流れ、おとわは龍雲丸とともに瀬戸村で暮らしていた。堺へ移った中村屋から龍雲丸に誘いがあり、おとわは龍雲丸とともに堺へ行く決意をする。そんな折り、遠江に武田軍が襲来。家康は大敗を喫し、近藤は井伊谷で籠城を決意。おとわたちは戦を避けるために策を巡らせ奔走する。

 

 

超高速三方原の戦い

元亀3年(1572年)、武田信玄松平健)は遠江へ侵攻し、三方原の戦いで徳川家康阿部サダヲ)を完膚無きまでに打ち負かす。この頃、上方では織田信長市川海老蔵)と不和になった将軍・足利義昭が裏で糸を引く信長包囲網が信長を苦しめており、信玄の西上作戦もこの動きに呼応したものとされている。しかし、そのような高度な外交戦など、おとわ(柴咲コウ)とその周辺の人々の知るところではない。

 

古くから関東は京都に対して独立の気風があり、室町時代以降も鎌倉の関東公方を中心とした独自の秩序があった。駿河の今川氏は京都側が関東の抑え役として配置したとといわれており、越後の上杉氏も関東管領守護代出身だ。同じように甲斐の武田氏も狭義の関東ではないものの、その周縁にある大名として関東の秩序の惑星のような存在であり、京都の政略とは縁が薄かった。

 

その武田氏が京都への上洛を目指すというのは、ある意味では、戦国大名の分国支配が成熟し飽和してきたことによって群雄が地方に割拠する時代が終わり、日本列島すべてをひとつの天下とする大大名同士の戦いの時代に突入したことを表しているのだろう。つまり、直虎が目指してきたような井伊家の自主自立が可能な時代では無くなってしまったのかもしれない。

 

劇中、織田の援軍が来ないことにしびれを切らした家康は、武田側に寝返り信長包囲網に加わることでの生き残りも模索する。戦を避けることを最上として知恵を働かせる家康らしい策だが、すんでのところで織田の援軍が到着してしまい、流されるように武田軍との戦闘に臨むことになる。天下を俯瞰しコペルニクス的展開プランを立案できる家康の天才的発想力は、のちに彼を天下人に押し上げることになるのかもしれないが、今のところは宝の持ち腐れになってしまっている。

 

後世には、家康は信長の忠実な盟友であったとされ、それが豊臣政権下での彼の確固たる地位を形成するのに大いに役立つのだが、あくまでもそれは結果論で、織田と武田という強国に挟まれた家康は、常に裏切りという選択肢も視野に入れながら厳しい選択を強いられ続けていくのだろう。

 

そして、家康が勝ち目の無い戦を仕掛けたのは、彼自身が弱い立場で虚勢を張って強いリーダー像を演出しなければならなかったからかもしれない。それは、背後にいる信長に対してでもあり、武田への寝返りの恐れのある遠江の新参家臣に対してでもあり、はたまた、身内のように見えていまだによそよそしい三河武士団に対してでもあるかもしれない。

 

理知的で計算高い西国の武士に対して、東国の武士は理屈抜きの強さを好む。上杉謙信が自ら先頭に立って敵陣に斬り込んだというのも、そうした東国的性格を表しており、決して伝説とは言い切れないという。

 

徹底的に戦を避ける家康だが、いざ戦となると人が変わったように無謀な勇気を見せる。幼い頃から人質として愛を知らずに成長した彼の潜在的な自殺願望がそうさせるのかもしれない。しかし、このことも彼が天下人となることを助けた資質のひとつだっただろう。

 

あやめの結婚

薬の行商に身を転じた瀬戸方久ムロツヨシ)は、あやめ(光浦靖子)の刺繍の腕に惚れ込み結婚を申し込む。方久はあやめの刺繍に銭のにおいを嗅ぎ取ったのだが、それがどうして一足飛びに求婚ということになるのか常人には理解が難しい。若い頃、奴隷のような身分に身を落とし、そこから銭の力で這い上がった方久の特殊な価値観によるものとして思えない。

 

この物語には、幼少期のトラウマのために奇異な行動をする人物ばかりが登場する。彼らには悲劇の陰がつきまとうが、それは外部の要因によるもので彼らの責任ではなく、むしろ、彼らの行動は不器用だとしてもすべてが愛らしい。

 

ともかくも、おとわが直虎として井伊の領主を降りる際にただひとつやり残したあやめの嫁ぎ先にも片が付いた。おとわは晴れて自由になれたのだ。

 

あやめの新野家はもともと遠江に所領を持つ今川の有力な家臣で、今川に井伊の目付を任じられるとともに政略結婚で井伊家の縁戚となった。おとわの母・祐椿尼(財前直見)とあやめの父・左馬助(苅谷俊介)が兄妹であることから、おとわとあやめは従姉妹にあたる。

 

しかし、遠江の内乱で左馬助が戦死したことから新野家は没落。あやめら姉妹は井伊谷に身を寄せることになる。

 

妹たちが先に嫁いであやめがいき遅れたのは、不器量のためではなく彼女が男子のいない新野家の跡取り娘だったからだ。その意味では、井伊家におけるおとわの立場とよく似ている。コメディーリリーフ的な役回りを引き受けてきたあやめだったが、実はおとわの心情を一番理解する立場にあったのかもしれない。

 

あやめが方久と結ばれたことで、新野の家名は消えることになった。本来であれば、主家である今川家が率先してあやめにしかるべき婿を取らせて新野家を再興すべきだったが、今川の態度はひどく冷たかった。

 

あやめが新野の家を捨てることができたのは、井伊家の再興をあきらめた直虎の判断が影響しているかもしれない。井伊家が再興を目指すならば、それを支えるために新野の家を残していかなければならない。そして、同じ跡取り娘として直虎のためにあやめも頑張らなければならなかった。しかし、井伊家が無くなるのなら、新野の家も必要無い。あやめは自身の人生を家ではなく自分のために使うことができるようになった。

 

これも時代と井伊家を取り巻く環境の大きな変化を表すトピックのひとつなのだろう。

 

再び乱世へ

武田軍の襲来は、新しい秩序にようやく馴染んできた井伊谷の人々にも試練を突きつける。

 

新領主の近藤康用橋本じゅん)は武田に対して籠城での徹底抗戦を選択。民を徴用した総力戦で井伊谷焦土化するこも辞さない構えだ。それに対して、井伊の民は村を捨てて逃散することで対抗する。

 

南渓和尚小林薫)は井伊谷を守るために近藤を武田に降らせようと工作し、近藤に仕える直之(矢本雄馬)も裏切りを辞さない覚悟で和尚に協力する。

 

一本気な近藤は付き合ってみると悪い人間ではないが、戦争というのは善意の人々の間を引き裂いてしまうものだ。

 

そして、高瀬(高橋ひかる)が武田の間者であったことが判明する。もしも、直虎が井伊の当主であれば、直虎暗殺の命を受けていたかもしれない高瀬がどういう心情で井伊家の面々に接していたかは分からない。ただ、近藤が領主になってからも館への奉公を希望したことなどから、間者としての使命をずっと忘れてはいなかったのだろう。結局、誰にも知られぬまま近藤の暗殺を試みて失敗した高瀬だったが、このとき彼女が心に傷を負ったはずで、戦後、元通りに暮らしに戻るのは難しいのかもしれない。

 

そして、龍雲丸(柳楽優弥)とともに堺へ行くことを決意したおとわだったが、武田の襲来で再び井伊谷を守るために奔走する役回りに引き戻される。それが、彼女の逃れられない宿命なのかもしれない。

 

今川の世の後に来た徳川の平和も破れた。人々が順応しようと必死に努力をしてきた新しい秩序も転覆して、また次の乱世が来る。その渦中に再び巻き込まれたおとわたちは、どのようにこの危機を乗り切っていくのだろうか。