汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(36)永禄12年のパクス・トクガワーナ  

 

第36回「井伊家最後の日」では、おとわに戻った次郎が龍雲丸と結ばれる。

 

遠江に平和が戻った頃、しのの再嫁先の松下家から虎松を養子にしたいという話が舞い込む。南渓に諭された次郎は井伊家再興を諦めることにする。これに反発した虎松や家来たちも、やがて受け容れ、それぞれ新しい人生に踏み出す。次郎は還俗しておとわとして龍雲丸と結ばれ、瀬戸村で暮らし始める。

 

 

国を持たない民族として生きる

今川が滅び、遠江徳川家康阿部サダヲ)の治めるところとなった。直後から駿河を奪った武田との冷戦が始まっているが、氏真(尾上松也)の舅にあたる関東の北条氏康(鶴田忍)が越後の上杉と結んで背後から牽制をしたため武田は身動きがとれず、表面的にはひとときの平和が訪れた。

 

天下を見れば、織田信長市川海老蔵)が事実上の覇者の座にのし上がっていた。前年に足利義昭を奉じて上洛し、義昭を将軍に就けると、伊勢、近江、畿内を平定し、周辺の大名に上洛を促していた。信長包囲網との苛烈を極めた戦いが始まるのはもう少し先のことで、嵐の前の静けさのような年だった。

 

しかし、そんな情勢も聞こえて来ないほどに次郎法師柴咲コウ)とその周辺の世界は天下の隅にあってとても狭い。

 

ここでは、今川がひとつの国家だったろう。その巨大な今川が滅びたことの安堵感と喪失感が次郎法師にまつわるすべての人に漂っている。今川が滅びる際の動乱はあらゆる秩序がひっくり返るときだった。次郎と政次(高橋一生)はそのチャンスに井伊家の復活と自立を賭けたが、あえなく敗れ去った。そして、井伊谷を手に入れたのは、同じくこの機に戦国武将としての夢を賭けた近藤康用橋本じゅん)だった。今川が倒れ徳川の平和が実現した今となっては、次に秩序が破れる機会がいつ訪れるのか誰にも分からない。誰も口には出さないが漠然と、井伊家再興の夢は断たれたように思っていただろう。

 

そんな中、井伊家最大の仇敵であった近藤の態度が軟化する。中野、奥山ら井伊家の重臣を召し抱えてもいいと言う。この戦役で武将としては致命的な怪我を負ったこと、次郎たちの看護によって奇跡的な回復をしたことなどが、近藤の心に大きな変化をもたらしたのだろう。

 

この提案はひとつの転機になった。武士の言う「御家」とは家臣と領地とで成る。それらが削げ落ちて当主とその血筋だけが残るのは、リアルな血肉を欠く朱子学的な虚像に過ぎない。当主は家臣と領民を守るためにあり、だからこそ家臣領民は領主を支える。特に次郎にはその思いが強かったはずだ。領民の暮らしが守られ、家来の仕官先が決まるのであれば、井伊家を再興する理由は無くなってくる。

 

再興を諦めるという次郎に強硬に反対をしていた中野直之(矢本悠馬)も「城や屋敷は無くなっても井伊家は人の中に生きている」という高瀬(高橋ひかる)の言葉で考えを改める。国家というものは国民の集合であり国民の幸福を守るための機関であるはずなのに、ときに国家そのものが人格を持ったかのように振舞い国家のために国民の犠牲を強いる。国民の血を搾り取るためだけの国家であれば必要は無く、ただ国民がいればいい。これからのち、井伊家は国を持たない流浪の民族として生きていくことになる。

  

はじめての謀略

時を同じくして松下常慶(和田正人)が虎松(寺田心)を松下家の養子に迎える話を持ってくる。遠州の動乱ではフィクサー然として暗躍していた常慶だが、結局、井伊家の再興も叶わず、気賀を救うこともできずで面目を潰してしまっている。もはや兄が継いだ自分の家しか手玉が無いといえば無い。

 

虎松に井伊家を引き継ぐことが次郎法師に与えられたもっとも重要な役割だった。それは直親(三浦春馬)と政次の願いでもあった。虎松が松下の家を継ぐということは、完全に井伊家の再興を諦めるということになる。しかし、これも「戦後の新秩序」のひとつなのだろう。遠州の武士たちも徳川家が支配する新しい時代を生き抜いていくための新しい「生態系」を作りだそうと模索している。そんな中で松下家が自らの地位を固めるための施策でもあるだろう。そして、そうした秩序が固まっていくほど井伊家の再興は糸口を見つけることも困難になっていく。

 

しかし、子どもの頃から「竜宮小僧」として井伊家のために生きてきた次郎にとっては、井伊家再興を諦めることは生きる目標を無くすということでもある。龍雲丸(柳楽優弥)は「あの人はずっと人のために生きなきゃいけないんですかね」と言うが、自分のために生きろと急に言われてもどうしていいか分からないものだ。

 

南渓和尚小林薫)は「次郎が決めたことだ」と言ったそばから、そうではなく本当は自分が強いてきたのだと気付いてしまう。仏教では「あきらめる」ことは悪いことではない。執着を捨てることで開ける道もある。

 

龍雲丸はかつて、政次にとっての「井伊家」とは次郎自身のことだと喝破したが、次郎にとっての井伊家というのは家来と領民のことだった。それらを救う必要が無くなった今、次郎にとって井伊家再興は無意味なものになっている。それが分かっていてもなお、中身の無くなった井伊家再興が自己目的化したゾンビのように次郎を苦しめる。これは催眠術のようなものだ。和尚が「やめよ」とひと声かければ、憑き物が落ちたかのように次郎は自由になれる。

 

しかし、南渓自身は井伊家再興を諦めたわけではなかった。「殿でなくなった次郎の言うことなど聞かなくてよい」という理屈で虎松ひとりを井伊家再興の極秘プロジェクトに誘い込む。それとも、これは井伊家の人々それぞれに前向きに生きる希望を与えるということだったのかもしれない。そのために、ひとりひとりに合わせて「井伊家再興」を与えたり奪ったりしなければならなかったのだろう。

 

「諦めなければ負けることはない」と言う虎松と諦めることで次に進むことのできる次郎は対照的だが、どちらも前向きに生きていくためにはそれが必要だった。

 

ともかくも、虎松は井伊家再興の野望を胸に秘めて松下家に潜伏することになった。後に天下を操る軍師として活躍することになる井伊直政の「はじめての謀略」だ。

 

エピローグには早すぎる

井伊家を失い生きる目標を無くした次郎を引き取ったのは龍雲丸だった。自分のために生きるというのは簡単なことではなく、それを支えて伴走する者が必要なのだ。そこまですべてを南渓和尚は計算していたのかもしれない。

 

男が女に名前を問うことは、とても古風なプロポーズの形だ。この時代までには形骸化していたが、古い時代には娘は父、妻は夫にしか名前を明かしてはならなかった。

 

史実の直虎の事績はここで途絶える。あとは没年が寺に伝わるだけである。まさにことのとき井伊家を担う重責は虎松に引き継がれ、次郎は自分のために生きる自由を手に入れたのだ。次郎は還俗しておとわに戻り、龍雲丸とともに瀬戸村で百姓として暮らすことになる。ひとつの物語のエピローグとしては美しい。

 

しかし、物語はそこでは終わらない。乱世の戦火が再びおとわたちを襲うのである。

 

3年後の元亀3年、武田信玄松平健)が西上の軍旅を開始する。中央では、将軍・足利義昭と不和になった信長が義昭が裏で操る信長包囲網に苦しんでいた。信玄の上洛軍はそうした動きに呼応したものだと世に言われるが、そうした大義名分などはどうでもいい。関東の北条氏康が死去したことで東国の外交関係が一変。武田と北条の同盟が回復し、信玄は後顧の憂いなく大軍を西に動員することができるようになったのだ。

 

農民となったおとわも否応なく戦に巻き込まれる。それだけでなく、今後も武士の世界と関わり続けなければならない事情が発生するかもしれない。