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【おんな城主直虎】(32)政次よ、これが死亡フラグというものだな

第32回「復活の火」では、直虎の策が破れ政次が窮地に陥る。

 

直虎は家康に書状を送り政次の内応を約束するが、すでに家康は次善の策として鈴木、菅沼、近藤の調略を行っていた。武田軍の侵攻により今川は壊滅状態になる。家康も三人衆を先陣に遠江に侵入する。満を持して徳川に寝返る政次。徳川の軍勢を迎え入れようとしたそのとき、何者かが徳川軍に矢を射ちかけてきた。

 

 

政次の死亡フラグ

徳川に呼応して蜂起し、井伊家を回復する直虎(柴咲コウ)の策は、政次(高橋一生)が城代として井伊谷に入ったことでより完璧になった。今川の城代を追放するために精密なクーデター計画を練る必要が無くなったからだ。あとは、直之(矢本悠馬)を政次に合流させて、オール井伊を演出すればいいだけだ。

 

これは徳政令による失脚からの井伊家の帰還のときではない。長く続いた今川の支配からの脱出という井伊家の悲願が成就するときなのだ。第1話から重ねて語られてきた井伊家を襲う悲劇、一族郎党の不和、あらゆる不幸の元凶が今川の支配なのである。そこから解放されるのだから、今回に続く次回あたりが最終回でもおかしくはない。

 

しかし、まだ3か月は話を続けなければならない。戦の前の静けさに順調に時間が経過する安堵感が漂う中、不穏な影が見られる。

 

戦を前に竜譚寺に現れた政次。直虎と碁盤を囲みながら語らう。直虎は、井伊家が再興しても政次が城代を続けよ、と言い、政次は直虎がふさわしいと返す。

 

そして、小野屋敷。政次は義妹のなつ(山口紗弥加)に一緒になろうと言い、なつはそれを受け容れる。

 

あまりにも穏やかな政次の表情。今までのすべてが報われた幸福な時間。これが死亡フラグと呼ばれるものか。

 

直虎との会談は過去の清算だ。そして、政次が直虎に贈った言葉は遺言のようにも見える。あるいは、未来の直虎を縛る言祝ぎかもしれない。いずれにしても、その未来に政次はいそうにない。そして、なつとの約束は果たされない約束だ。

 

政次の言動は死刑を前にした囚人の告解のようでもある。彼のすがすがしい表情も、これから起きることを予期しているかのよう思わせる。政次と井伊家に襲いかかった危機に、政次は最後の策を持っているのだろうか。

 

徳川ポンコツ

武田、今川、徳川の軍陣はそれぞれに様子が異なる。既にねずみが逃げ出している船である今川家は論外だとしても、徳川の軍勢も随分と慌ただしく落ち着きが無い。百戦錬磨の武田信玄松平健)の陣の落ち着いた様子とは対照的だ。しかし、武田のようなあり様も特殊な例外と思った方がいい。

 

戦争において情報は不完全なものだ。将棋や囲碁、あるいはコンピューターゲームのように状況を俯瞰して、すべての情報を机上に並べられるわけではない。情報が完全なゲームでも人間は判断を誤る。ましてや不完全なゲームにおいて正確な分析などできるはずもない。武田信玄の落ち着きは、むしろそういうものだと割り切った達観から来るものかもしれない。

 

しかし、徳川軍は違う。次から次へと起こるトラブルの処置に慌てふためいている。そして、刻一刻と変化するこの戦争の雲のかかった「全貌」に疑心暗鬼になっている。

 

長老格の酒井忠次みのすけ)ですらひどくナイーブだ。他の連中は言うまでもない。この顔ぶれで議論をしても、うるさいばかりでまとまらないのではなかろうか。

 

今川の組織はよく整っていた。その組織が、悪意をクリアを伝達したのだ。徳川の組織は雑然としている。これでは家康(阿部サダヲ)に善意があっても、組織を通る間に雑音に打ち消されてしまうのではないか。後に数百年続く強固で効率的な官僚機構を作り上げた徳川家も今はまだこんなものだ。

 

おそらく、これから井伊家が戦わなければいけないのは、この徳川という組織の、官僚的というには洗練が足りない、田舎の役場のお役所仕事のようなダメさ加減ではないだろうか。

 

バタフライ・シンドローム

直虎、そして政次が見誤っていたのは、第三のプレイヤーの存在だろう。つまり、井伊谷三人衆のことだ。この時代にはまだ「井伊谷三人衆」という呼び名は無いが、後にそう呼ばれる鈴木、菅沼、近藤という西三河の国衆がそうだ。

 

家康は三河側の三人衆を味方に引き込み、陣座峠から遠江側の井伊領に軍を進めようという考えだ。三人衆と井伊を陣に加え、そこから雪だるま式に味方を増やしながら遠江を制圧するのが、家康の策だっただろう。

 

今川と徳川、この大きな勢力の間で立ち回ることに限れば、直虎の策は完璧だった。両者の力はとても大きく、他の小さな勢力の振る舞いなどはささいなものとして切り捨てられるように思えた。

 

ここで、三人衆の近藤康用橋本じゅん)が私欲から安っぽい策略を巡らした。あまりにも愚かしく、あまりにも小さい。だから、誰もまともに取り合わなかったのだ。しかし、北京の蝶の羽ばたきがニューヨークで嵐を引き起こすというたとえもある。直虎の策を吹き飛ばすには十分だったのだ。

 

政次は今まであちこちで蒔いてきた悪名のつけを払わされることになる。それは政次の本当の姿ではないはずだが、正体を明かす前に毒が回ってしまいそうだ。あるいは、近藤も彼が小野政次でなかったなら、こんな策を仕掛けようとは思わなかったかもしれない。

 

さて、政次の運命やいかに。そして、井伊家はどうなってしまうのか。