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【おんな城主直虎】(31)地獄でなぜ悪い

第31回「虎松の首」では、今川の謀略を逆手にとった直虎と政次の策が動き出す。

 

直虎は徳政令の実施を認め、自らは領主の座を退く。井伊領は今川の直轄となり、井伊家の面々は隠れ里に身を隠す。氏真は政次を井伊の城代とする条件として、虎松の首を要求する。直虎は今川の動きを察し、先手を打って虎松を三河の寺に逃がす。政次は、虎松と偽って身代わりの首を差出し、城代の座を就いた。

 

今川の策を骨抜きにする直虎の策

政令の実施をきっかけに直虎(柴咲コウ)は領主の座を降り、井伊領は今川の直轄領となった。今川の進出は徳政令による井伊家の財政破綻に乗じたものなので、銭主に代わって担保の差し押さえを行う行政代執行というのが正しいかもしれない。

 

井伊の一族は夜逃げ同然で川名の隠れ里に身を隠すことになるが、このあたりは徳政令という金融政策の複雑な影響を単純化して見せたものだろう。実際には、徳政令の副作用として井伊領内の経済混乱や井伊家の財政破綻があったとしても、それが表に出てくるまでには時間がかかる。むしろ、直虎の降板は徳政令という政策判断の責任を取ったことによるものではないか。

 

劇中では、百姓まで含めたオール井伊VS今川という構図が強調されているが、実際には井伊の内部はそこまで一枚岩では無かったのではないかと思う。徳政令というのは、立場によって利害が大きく分かれる政策だ。農民を中心とした賛成派と商人を中心とした反対派、両派に加担して家臣団も二つに分かれ、そこに親今川・反今川という政治的イシューも絡んでくる。今川としては井伊家を分断する爆弾を投げこんだようなものだろう。直虎としては、徳政令は実施するが自らは責任を取って辞任することで両派を納得させ、決定的な分裂を防ごうとしたのではないだろうか。

 

そう考えれば、直虎から政次(高橋一生)への政権交代も実は直虎の思惑通りに見えてくる。江戸時代に著された井伊家の史書などによって、政次はお家乗っ取りを企てた極悪人というのが定説になっている。しかし、ドラマで描かれるように、直虎と政次が裏で気脈を通じていたと考えても辻褄は合いそうだ。

 

政次が井伊領の代官になることで、井伊領への今川の介入をコントロールすることができる。また、領内の混乱を最小限に収めたことで、井伊家の土台にあたる領民や下級武士たちをそっくり残すこともできた。今川が去った後、井伊家が元の地位に帰ってくれば、今まで通りの井伊に戻れるという算段だ。

 

今川の思惑通りに見せかけて、実は要求を骨抜きにしてソフトランディングすることに成功している。

 

今川の策を逆手にとった政次の策

隠れ里に落ち着いた後、直虎は逆転の策と政次が味方であることを一同に明かす。しかし、これはまずかっただろう。井伊家の近親者のみとはいえ、どこから話が漏れるか分からない。井伊領内の保全のため、今川からの信頼を勝ち得ようと奔走している政次に疑いがかかるようなことがあれば、起死回生の策も破綻してしまう。

 

しかし、井伊家の面々の最高潮に達したストレスをなだめるためには必要だったのかもしれない。事態を悲観して自害をしたり、予期せぬ行動に出る者がいたかもしれないし、直之(矢本悠馬)のような急進派がパルチザン化して、ゲリラ戦や政次暗殺などに走る恐れもあっただろう。

 

とはいえ、政次が味方であることを明かしたのは、冷徹な井伊家再興策のためには必要ない。しかし、ここで言っておかなければ、井伊家再興の後、政次が井伊家によって誅殺されてしまうかもしれない。直虎は政次を救うために危険を冒したのだろう。

 

ともかく、政次の立場はひどく危ういことになっている。今川が滅びるのが目に見えている状況で、今川の代官となるのは非常に危険だ。徳政令が無ければ政次の立場に立つのは直虎だった。政次は自らを直虎の身代わりにするため、今川の策を逆手に取ったのかもしれない。

 

直虎は、井伊家再興の後、政次を救い出すことを考えているが、政次の考えはよく分からない。「地獄へは俺が行く」という政次の言葉は、罪のない子どもを殺めたことに対してではなく、やはり、井伊家再興のために自らを犠牲にする決意のように思える。

 

今川が徳川に替れば井伊家は元通りになる、という直虎の策はおおむね正しそうだが、あまりに単純化されてるように思う。政治情勢はより複雑で、無視できない不確定要素がごろごろと転がっている。

 

新しい同盟者の徳川も信用はできない。家康(阿部サダヲ)の人柄はともかく、家中政治が複雑で後から決定が覆ることが多々ある。鈴木、菅沼、近藤の三人衆も今川から徳川への乗換えを謀っているだろう。だからといって、彼らが味方とは限らない。敵か味方かお互い分からない中で、自らを優位に立てるために井伊を踏み台にしようとするかもしれない。遠江の国衆たちも、それは同じだ。そして、気賀、さらに今川に寝返った方久(ムロツヨシ)も、どういう動きをするか読み切れない。

 

彼らの思い思いの行動が複雑に絡み合って、だれも望まないイレギュラーな事態を引き起こすかもしれない。そして、そんな小さな小石のような事件が直虎の策を大きくつまずかせるかもしれない。

 

さて、すっかりいい人になった龍雲丸(柳楽優弥)。虎松の身代わりに病気の子どもを金で買い取ってくるようなことは、盗賊あがりの何でも屋にうってつけの汚れ仕事ではないか。政次の真意を察して裏で龍雲党が動いたものかと思ったが、今回はぼんやりとしていたらしい。悪人ぶりでは、政次にずっと上を行かれてしまった。近く迫った戦乱に気賀も無関係ではいられない。そのとき龍雲丸はどう動くのか。評論家のような仕事は今回限りでいいだろう。