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ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(20)死せる直親、生ける女たちを泣かせて株を下げる

第20回「第三の女」では、直親の悪口で直虎としのが結束する。

 

直親の娘を名乗る少女・高瀬が信州よりやって来る。政次は武田の間者を疑う。高瀬が直親の笛の音色を鼻歌で歌ったことから、直虎は彼女が直親の娘だと確信。井伊家に迎え入れる決意をする。一方で、直虎としのは直親に対する不満を吐き出し団結する。

 

 

再燃するサイコパス疑惑

隠し子騒動で直親(三浦春馬)のサイコパス疑惑が表面化する。

 

サイコパスは表向き誰にでも人当たりのよい好人物だが、その実、平気で嘘をつき相手によって言うことが変わる。しかも、そのことに罪悪感を感じず、頭の回転が速いので悪事がなかなかバレない。乱世の奸雄、治世の極悪人だ。

 

幼い頃に両親に死に別れ、知る人のいない遠い土地で育つことになった直親は、無意識のうちに他人に嫌われないように振る舞うところがあるらしい。嘘であっても、相手が望むものを与えてしまう。

 

生前の直親は誰からも好かれる人気者だったが、直虎(柴咲コウ)やしの(貫地谷しほり)にはどうも引っ掛かるものがあったらしい。ただ、それを言い出せなかったのは、「裸の王様」のようなムラ社会の集団心理によるのだろう。

 

直親は、かつて政次(高橋一生)の目には、家臣らの心理を巧みに操りお家乗っ取りを謀る野心家に映っていたが、今、直虎としのの間では二枚舌のすけこましに成り下がっている。成り下がったとはいえ、すけこましの方が罪が軽いというわけでもない。

 

なにはともあれ、冷戦が続いていた直虎としのの距離が縮まった。この後、井伊家を襲うであろう苦難を乗り切るには二人の結束が必要なのだ。しかし、死んだ直親が結んだにしては、猿の手が叶える願い事のように随分と皮肉な結び方ではある。

  

山の武士のネットワーク

高瀬(高橋ひかる)が育った信州・伊那谷は、井伊谷と古い結びつきがある。

 

井伊領の井伊谷川、都田川から山ひとつ越えると天竜川に出る。天竜川をさかのぼると、北遠を経由して三河国境に接し、信州伊那谷に至る。陸路が未発達なこの時代、河川は重要な交通路で、井伊谷伊那谷は水上交易を通じて経済的に強い結びつきがあったと考えられる。

 

海から遠い伊那谷にとっては、三河遠江からもたらされる海の産物が貴重だったに違いない。日本各地の山間部には保存食としての鯖鮨の文化がよく見られるが、伊那谷にもそれがある。

 

また、この地域は、直虎と南渓和尚小林薫)が頼りにする山伏・松下常慶(和田正人)が属する秋葉神社の信仰圏として国境をまたいで結びついている。

 

 

かつて直親が伊那谷に逃れたのも、そうした結びつきを背景にしているのだろう。また、南北朝時代に井伊氏とともに足利幕府と戦った宗良親王も、井伊谷陥落後、信州、越後へ逃れている。

 

北遠、奥三河伊那谷といった山間地域は、海に近い平野部とは異なる文化がある。渓谷に沿った狭い盆地では、田地が開かれ農業経営が行われているが、背景には広大な山がある。

 

山村は貧しいところと思われがちだが、実は豊かな産業がある。

 

林業は材木と炭焼き。石油も電気も無い時代、木炭は有力なエネルギー産業だった。

 

そして、金属の採掘と加工も山の産業だ。井伊谷の渭伊神社には金屋子神が併祀されているから、この地域には古くから鋳物師、鍛冶師が多くいたに違いない。方久(ムロツヨシ)が伊平で鉄砲開発に乗り出したのも、この地に優秀な刀鍛冶がいてこそのことだ。

 

直平(前田吟)が猟師のような毛皮の羽織を着て、山奥の川名に隠居所を構えていたのも、井伊氏に山の民の頭としての性格があったからだろう。

 

そして、後に井伊谷三人衆といわれる奥三河の鈴木、菅沼、近藤といった領主たちも、やはり「山の武士」に属する人々なのだろう。

 

国という行政単位は、中世を通じて守護が置かれたこともあり、政治的な枠組みとしてはこの時代まで意味を持っていた。各々が自分の領地を守り、近隣といがみ合う領主たちも、ことがあれば国単位で結集する。戦国大名・今川氏の分国支配もそうした仕組の上に立っていた。

 

それとは、別のレイヤーで遠・三・伊那の山の領主たちは、独自のネットワークで結びついていた。国境で分断され、表向きは別々の大名に従っていても、水面下では国を持たない民族のように繋がっている。

 

そして、今川という「国家」の支配が揺らぎ、秩序が不安定になった今、水面下にあった山の武士たちのネットワークが不気味なうごめきを見せ始める。それは、一致団結したひとつの共同体ではなく、どこかを叩けばそれに共鳴してあちこちが鳴り出すような、当事者にも何が起きるか分からない機構なのだろう。

 

自由都市・気賀

気賀は浜名湖の北端にある商人の街。江戸時代には東海道脇街道が通り、関所が設けられた東西交通の要衝だ。また、都田川が浜名湖に注ぐ水上交通の要でもある。北遠の山の物産が集積し、南からは浜名湖を通じて海の幸や遠国からの珍品が運ばれてくる。

 

自治権を持ち商人が治める自由都市だが、この時代にはそれほど珍しくない。

 

気賀は井伊谷から3キロほどと非常に近い。井伊谷川に沿って下って行けば、1時間ほどで着いてしまう。実は井伊屋敷の裏手の井伊谷城に登れば、山の間から浜名湖の湖水が見える。ちょうど、その辺りが気賀なのだから、直虎が知らなかったということはありえない。すっとぼけるにもほどがある。

 

気賀で芽生えた商業の風は、近接する井伊領にも影響を与えているとみていいだろう。中でも、瀬戸村、祝田村といった都田川沿いの領地は、気賀に非常に近い。瀬戸方久の台頭も、商品作物の綿の栽培が企画されたのも、商業と流通の浸透が背景にあるに違いない。

 

方久が綿の生産に乗り出したのも、もともと販売先として気賀が担保されていたからなのだろう。気賀をとばして駿府と直接取引できれば大きな儲けになっただろうが、今の時点でその企みは頓挫している。しかし、それでも気賀に売れば問題は無い。

 

ところで、自由都市の「自由」は現代の感覚とは自由の意味合いが異なる。農村の経済と秩序に寄って立つ武士からすれば、都市というのはひどく猥雑なところだ。村からあぶれた者たちが流れ込むようなところで、大商人も元をただせば方久のように身元不詳の厄介者ということも多い。

 

事実、井伊領から木を盗んで脱獄した盗賊(柳楽優弥)が、気賀では大手を振って歩いている。自由都市の「自由」には、寺社と同様、「世俗権力の警察権が及ばないところ」という意味もある。

 

罪人やお尋ね者には住みよいところだ。盗品売買、資金洗浄、人身売買、何でも「自由」の闇社会。自治があるとは言っても、悪人が多ければトラブルも多く、解決方法も乱暴になる。強くなければ生きてはいけない。

 

一方で、封建的なムラ社会の中にある数少ない再チャレンジの場ということもできる。罪を犯したり、不義理で信用を無くした者、借金苦で夜逃げした者、前半生の履歴不問で誰もが人生の再スタートを切れる。そうした風土が都市のエネルギーになっているのだろう。

 

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