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【おんな城主直虎】(18)「わたしは嘘つきです」という嘘

第18回「あるいは裏切りという名の鶴」の元ネタは、「あるいは裏切りという名の犬」という2004年のフランス映画です。

 

鉄砲密造の申し開きのため、駿府へ向かった直虎と政次。しかし、方久が先回りして氏真に鉄砲を提供していたため、直虎はおとがめ無しに。南渓和尚から渡された兵法書を読んだ直虎は、政次の「策」を見抜く。直虎に井伊を守る策を尋ねられた政次は、「戦わない道を選ぶ」と答え、直虎もそれを受け容れる。

 

 

英明君主・氏真

駿府に先回りした方久(ムロツヨシ)は、今川の当主・氏真(尾上松也)に鉄砲を売りつけ、井伊領での鉄砲開発は今川家に提供するためだった、と言い逃れ、直虎(柴咲コウ)への嫌疑を解くのに成功する。さらに、方久は今川家から資金提供を受け駿府での鉄砲開発を行う許可を得る。いわば、政府系投資ファンドから投資を受けたスタートアップ・ベンチャーのようなものだ。

 

井伊領での鉄砲開発は、井伊家からの資金援助は期待できないし、鍛冶師も腕がいいとはいえ限度がある。それに対して、今川は全国屈指の大大名で駿府も東国一といってもいい大都会だ。今川の大資本と都市に集まる工人の高い技術力を利用できる。そして、都市ならではの先取の気風は新技術の開発に欠かせない。

 

結果的に駿府での鉄砲量産の成否については歴史に譲るとしても、西国・畿内に比べて新技術の受容が遅れた東国においては野心的な試みと言えるだろう。この頃、近隣には武田信玄上杉謙信北条氏康といった戦国の名将がいたが、鉄砲の導入はそれほど進んでいない。しかし、20年後の戦場のあり方を見れば、鉄砲中心戦術への移行は時代の流れといえる。

 

その意味では、鉄砲量産への投資を即断した氏真の決断力は素晴らしい。ミーハーのように見えなくもないが、時代の最先端を行くことは、それと紙一重。風を掴んで感性で飛び乗るのだ。経験と駆け引きが必要な外交は、祖母の寿桂尼浅丘ルリ子)に頼らなければならないが、新しい技術や文化の導入には氏真の若い感性が力を発揮する。

 

史実の氏真も決して暗愚な君主ではなかったと言われている。この頃、駿府楽市楽座が行われたという記録がある。

 

楽市楽座は教科書的には織田信長の印象が強いが、実際にはこの頃、全国各地の大名が実施したトレンド最先端の商業政策だった。

 

都市に商工業者を誘致し、活動の自由を保障することで経済活性化を図る政策であるとともに、戦国大名の権力を拡大する政治的な政策でもあった。

 

座というのは、いわば商工業者の互助組合。寺社の権威を背景に、商工業の安全を確保するとともに、新規参入者を排除するなどして市場の寡占を行った。それと同時に新興の自由都市に対する世俗権力(大名)の介入を拒み、裏では政治的権力を持つ大寺社の資金源となっていた。

 

したがって、座を解体し都市への支配を拡大することが、大名が領国を一円支配し権力を増強するために欠かせなかったのだ。

 

蹴鞠をたしなむなど京風の文化に親しんだのも、やはり文化振興策の一環だろう。軟弱というそしりには、徳川時代質実剛健指向のフィルターがかかっている。

 

この時代は商工業が急速に拡大し、都市の重要性が高まっていた。そして、都市に人と富と技術を引きつける引力として文化が必要になる。その旗振り役として、氏真は一流の文化人でなければならない。

 

室町時代から、西国には中国の宋や朝鮮半島、そして南蛮(ポルトガル)からの進んだ技術や文化が継続的に移入された。それらを受容する東国の窓口に駿府をしなければならない。そのために、人を呼び込むには、文化を中心に据えなければならない。

 

2番ではダメだ。人が集まるところに人は集まる。デファクトを取った都市が雪だるま式に総取りをするからだ。

 

京の公家文化は決してノスタルジーではない。古い和の文化と外来の文化の対立構造は幕末以降の話だ。例えば、幕府奉公衆出身の細川幽斎は和歌の古今伝授を受けた京文化の担い手であると同時に南蛮文化にも造詣が深かった。彼を中心に堺の商人と京の公家衆を含んだグループが信長のブレーンとして活躍した。

 

氏真が鉄砲の導入を即断できたのも、京から多くの文化人を招き、時代の風を感じ取っていたからだろう。

 

ユージュアル・サスペクツ

「敵を欺くには、まず味方から」という政次(高橋一生)の策にようやく気づいた直虎。しかし、南渓和尚小林薫)の言うように、気づいたことを気づかれたら策が破れてしまう。量子のスピン状態を観測しているかのような状況だ。

 

直虎に求められるのは、「気づいたことを誰にも気づかれないようにしながら、政次を信頼する」という態度だ。しかし、政次はそれをすぐに察してしまう。政次は、「気づかれたことを気付いていない振りをしながら、しかし今までとは違って信頼されているという前提で直虎を動かす」ことが求められる。あまりにも複雑でよく分からない。

 

ロミオとジュリエットでさえ二人きりになれば、本当の気持ちを話せただろう。直虎と政次にはそれすら許されていない。

 

それでも、今まで反目し合っていた二人の協力関係が整った。しかし、そんなときこそ、魔が多い。今までもそうだった。

 

武田家では氏真の義弟にあたる嫡男・義信が失脚。今川との同盟関係に亀裂が入る。武田の甲斐は遠いように思えるが、天竜川をさかのぼった伊那谷も武田領だ。ここは、かつて直親(三浦春馬)が亡命していたところ。遠江の国衆たちへも武田への鞍替えの誘いがあっても不思議ではない。

 

そして、徳川家。三河を統一し、遠江に野心を見せる。彼らは直親を見殺しにしたように、外の者に対してはひどく冷淡だ。今川の敵が井伊の味方とはならない。

 

政次は直虎の身を案じて後見から退くように謀ってきたが、実は政次の方が危うい。今川の目付の立場は今川あってのことだ。今川が倒れれば、政次は居場所を無くすだろう。そうなれば、井伊家が助かるための生贄としてうってつけになってしまう。

 

政次が助かるためには、今川が健在であった方がいい。しかし、今川は傾きつつある。政次は、井伊を救うため、時が来れば冷徹に今川を切り捨てるだろう。ただし、それが直虎の名のもとに実行されるなら、政次は失脚し裏切り者として制裁を受けなければならないだろう。

 

おそらく、すべてを悟ったつもりの直虎もそのことにはまだ気づいていない。一方、政次はそのつもりでいる。直親を見殺しにしたときに、そこまで決めてしまった。そして、政次がいなくなったときにこそ、直虎が生きていなければならない。

 

それが全貌だ。直虎がそれを知るとき、政次はもういない。

 

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