汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

あけまして、松江城天守閣に登ってみました ブラタモリのおさらいもあるよ

あけましておめでとうございます。

 

元旦から松江城天守閣に登ってきました。

 

松江城では、天守閣から初日の出を見られるように6時半に開場して、50人限定入場できるそうです。

 

正月早々、あっぱれくんも出勤していました。ちなみに武将隊は年末年始きっちり休むことが判明しております。

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まあ、初日の出は東から登るので、そんなにいい景色でもないんじゃないでしょうかね。という話はさておき。

 

元旦早々、そこそこの人出。地元の人、観光客いろいろいるみたいです。

 

こちらは大手門を入った二の丸下段からの眺め。

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それでは、天守閣に登ってみましょう。

 

天守閣の中に入ると、まず最初の階が地階。石垣の内側のあたりです。

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ここには、籠城用の大井戸の跡があり、古いシャチホコもここに保管してあります。

 

階段を上ると、ようやく1階。松江松平家の初代、松平直政像を中心に鎧甲がずらりと並んでおり壮観です。直政像は、大坂冬の陣真田丸に対峙する姿を描いたものです。

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2階は松江の城下町のジオラマが中心です。江戸時代、昭和30年代、50年代と時代の変遷が分かります。

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写真は、江戸時代のジオラマ。大橋側の南、白潟本町から松江城を眺める視点です。

 

また、石落としや狭間といった防御用の設備もあります。

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3階に登ると中央に松江城の模型があります。壁面を囲う形で日本全国の城を紹介する写真パネルが飾ってあります。

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4階は展示がありません。

 

この階は、破風の裏側に箱便所があります。城が制圧されて天守閣のみになっても、籠城を続けるための設備でしょう。ただし、当然、現在は使用できません。

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4階の上には踊り場があり、その上が最上階である5階、天狗の間です。

 

ここは、籠城戦で城主が指揮に当たるための場所とされていて、周囲を展望することができます。

 

まず、南側。宍道湖が見えます。フォトジェニックなのは、こちらの方角ですが、同時に敵が攻めてくるのもこちらからになります。

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東側には市街地が広がっています。

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初日の出はこちらから出るわけですね。

 

北側。向かいに見える赤山は、もともと松江城がある亀田山と尾根続きでしたが、松江築城の際に切り崩して堀を通し、二つの山が分けられました。赤山には現在、松江北高校があります。

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こちらが西側。

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ちなみに鉄砲狭間から見た景色がこちら。なるほど、これなら狙い撃ちできる。

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松江城天守閣がくっきり見えるスポットとして穴場なのが明々庵。松平家7代藩主、治郷(不昧)がつくった茶室が始まり。松江城の北側、赤山にあります。

 

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ブラタモリおさらい

ついでなので、NHKの『ブラタモリ』で紹介されたスポットをおさらいしていきましょう。

 

まず、こちらは、島根県知事公邸。松江城の内堀に沿った塩見縄手と呼ばれるエリアにあります。

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もともと、中級武士の屋敷が並んでいたエリア。明治時代には、『怪談』を著した小泉八雲ラフカディオ・ハーン)もここに家を借りて住んでいました。現在でも、武家屋敷が保存されています。

 

松江大橋南詰めの白潟本町。

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松江の南北を分ける大橋川には現在、5本の橋がかかっていますが、江戸時代にかかっていたのは松江大橋だけ。そして、白潟本町は松江に城下町ができる前から商人が集住していた町なのだそうです。昔は、あたり一面湿地帯だったのですが、ここだけ周囲より少しだけ土地が高く、人が住めたのだそうです。

 

これは京橋川松江城の外堀にあたりますが、平時は城下町への物資の運搬のための水路として使われていたそうです。かつての船着き場の跡も残っていますが、ここに見えるのは最近作られたものです。

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大手門前から内堀外堀を一周する遊覧船。冬は寒いので、こたつがつきます。

 

最後にこちらが「江戸時代のマリーナ」。総合体育館のはす向かいのあたり。周囲は市街地化していますが、ここだけぽつんと残っています。

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これは武家屋敷の中につくった船着き場の跡で、屋敷から船に乗って掘伝いに町へ出かけることができます。

 

松江の旧城下町の端にあたる場所で、大橋筑後守という家老の屋敷があったところ。大橋は福島正則に仕えていましたが、のちに京極氏に仕官して松江に来ます。そして、京極氏が改易になった後、松江に入った松平家に再仕官をして、松江藩士として続いていきます。

 

写真は、左右に繋がるのが川で、奥へ向かう水路が家老屋敷への引き込みになります。そして、水路は写真奥で右側に折れて、そこが船だまりになっています。

 

それでは、よいお年を。