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【真田丸】丸ロスなので松江に行ってきた 国宝・松江城もあったよ

丸ロスのみなさん、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。『逃げ恥』も終わって、もう人生に希望は無いですね。

 

さて、常々「丸ロスなら松江においでよ」と言ってきましたが、ついに実際に行ってきた様子をレポートします。

 

真田の本拠地である上田、松代、沼田あたりはもとより、物語の舞台となった九度山、大阪、そして、終盤においしいところを持っていったずんだ餅の仙台。『真田丸』ゆかりの地は、全部めちゃくちゃ混みますよ。

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そこで、おすすめしたいのが、「日本一すいてる真田丸ゆかりの地・松江」です。絶対並びません。

 

一見、何も関係無いように見える松江ですが、最古最詳の「真田丸絵図」が今年になって発見されています。

 

いたはずなのに登場しなかった、あの人もあの人も大活躍の松江。そこには隠された裏真田丸ヒストリーがあったのです。

 

松江藩の家宝・幸村の軍扇

真田丸』ゆかりの品は、松江城にほど近い松江歴史館にあります。ここは、かつて松江藩家老、跡部氏・朝日氏の屋敷があったところ。松江城の大手門から内堀に沿って北へ向かったところにあります。

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休憩所の利用は無料ですが、展示室の入館には510円かかります。

 

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まず、こちらが松江松平家に家宝として伝わってきた「真田軍扇」。初代・直政が大坂冬の陣の際に真田信繁(幸村)から頂いたという由緒があります。

 

実は、この直政が『真田丸』と松江を結びつけるカギとなる人物です。ただし、本編にはまったく登場しません。

 

直政は、徳川家康の次男・結城秀康の三男、つまり家康の孫にあたります。大坂冬の陣のとき、14歳で初陣。このときはまだ大名になる前で、兄である越前福井の大名、松平忠直の部隊の一員として参加していました。

 

冬の陣でも夏の陣でも信繁と壮絶な戦いを繰り広げた越前隊。最終的に信繁を討ち取ったのも、忠直の家臣、西尾仁左衛門とされています。ここらのくだりも、本編では全カットです。

 

冬の陣で、真田丸を守る信繁に戦いを挑んだのが、加賀・前田利常と越前・松平忠直。強固な真田兵の防御の前に、両軍は総崩れになります。

 

そんな中、ただひとり、真田丸空堀に飛び込み塀に貼付いた騎馬武者が、少年武将の松平直政でした。塀の中から矢と鉄砲の集中砲火を浴びせかけられますが、直政は必死に踏みとどまります。

 

その姿を真田丸の中から見ていた信繁は、ここで殺してしまうのは惜しいと思ったのか、攻撃をやめさせ、自らの持っていた軍扇を投げて寄越した、と伝えられています。

  

もっとも、子孫にあたる7代藩主、治郷(不昧)は、「戦後、真田家から贈られたという説もある」と言っています。冬の陣と夏の陣の間の休戦期に信繁から贈られたのか、もっと後になって信之の真田家から贈られたということなのかは分かりません。

 

どの説を採るにしても、真田丸での激戦と直政の奮闘を讃えたものであることに変わりはないでしょう。

 

新発見 真田丸の真の姿

そして、こちらが「大阪 真田丸絵図」。今年になって、松江藩が残した文書の中から見つかったものです。

 

時代は1690年頃と真田丸の絵図の中では最古のもので、なおかつ、もっとも詳細に描かれています。

 

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従来の説では、真田丸大阪城の外堀に接した半月状の砦だったとされてきましたが、近年、大阪城から離れた位置にある出城だったという新説が出てきました。

 

松江の真田丸絵図は、新説を強く支持するものです。描かれた時代が古いことから「同時代性」という意味でも信憑性が高い。よく似た絵図は芸州浅野家にも伝わっていましたが、松江の方がより詳細です。

 

特徴としては、ほぼ四角形をしていること。上町台地の中の谷を利用しながら、空堀を掘り足して出丸を囲っていること。出城であるため、大阪城のある北側にも敵襲に備えた防御設備があること。専守防衛だけでなく、出城の外に騎馬隊を出撃させて反撃するための設備があること、などが挙げられます。

 

先に述べたとおり、松江松平家は初代藩主の直政が初陣で大坂冬の陣に参加しています。そして、のちに家老となる乙部九郎兵衛をはじめ多くの家臣もこの戦いに参加しています。

 

直接、真田丸と戦い、間近にその姿を見た武士たちのリアルな情報に基づいて、この「真田丸絵図」が描かれたと考えられます。したがって、非常に信頼できる歴史的価値の高い絵図といえるでしょう。

 

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ついでに、松平直政銅像がこちら。馬上から真田丸を見上げている姿でしょうか。

 

もともと松江城の三の丸だった県庁前の芝生庭に立っています。大手門からやや南に行ったところです。(ちなみに、ポケストップにもなっているので、見つからないときは地図アプリを『ポケモンGO』に切替えるとよいかもしれません。)

 

信繁の時代を知る松江城

最近、国宝に認定された松江城。1611年に天守閣が完成したということですから、大阪の陣の頃にはすでにここに立っていたということになります。そして、全国に12しかないという現存天守のひとつでもあります。つまり、『真田丸』当時の姿を現在に伝えているということです。

 

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松江城を築いたのは、堀尾吉晴尾張の一戦国大名だった時代から織田信長に仕え、その家臣である秀吉に与力として付き従いました。秀吉の家臣団の中では最古参のひとりです。

 

徳川家康が関東に国替えになった際には、その旧領である浜松を秀吉から任せられました。また、三中老のひとりに任じられ、秀吉の死後、遺言を次々と反故にする家康に対する詰問する場にも居合わせました。

 

あまり有名ではない地味な武将ですが、秀吉から厚く信頼されていたことが分かります。

 

関ヶ原の戦いでは東軍に付き、その戦功で出雲隠岐24万石の大名となります。そして、時代に合った新しい城と城下町を築こうとします。

 

秀吉のそば近く仕え、軍事・内政について秀吉の流儀を学んだ吉晴が、そのすべてを注ぎ込んで築いたのが松江城なのです。

 

吉晴は天守閣が完成を見届けた直後の1611年に亡くなります。大阪の陣の3年前のこと。同じ頃、真田昌幸加藤清正もこの世を去っています。彼らのような戦国乱世を生き抜いてきた武将たちがいなくなった後に起きたのが大阪の陣だったわけですね。

 

秀吉直伝・質実剛健の城

松江城は、城造りの名人と言われた秀吉直伝、堀尾吉晴の工夫が随所に見られます。大阪城、姫路城、熊本城などの名城に比べれば規模は小さいのですが、実用性を追求しコンパクトにまとめあげた城になっています。

 

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大手門の南側から見た大石垣。内堀と石垣が敵に大きく立ちふさがり、攻撃ルートを限定するとともに心理的にもダメージを与えます。

 

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大手門を抜けた後、二の丸下段から上段へ向かう階段から見上げたところ。石垣の上の櫓と鉄砲狭間から鉄砲の集中攻撃を行い敵を殲滅します。

 

城下町にも見られる防御の仕掛け

城郭だけでなく、城下町にも防御の仕組みがたくさん見られます。平和な時代には商業の中心となる城下町ですが、いざ戦時になれば城の一部に早変わりします。

 

そうした江戸時代の都市計画の痕跡を、現在の松江の街に見つけることができます。

 

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これは、北堀町の塩見縄手にある丁字路。城下町に十字路はつくられませんでした。敵が侵入したときに、見通しを悪くし、角を何度も曲がらせることで進軍の速度を落とさせる目的がありました。

 

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殿町の県民会館前にある鉤型路(かぎがたろ)。街の設計上、十字路にならざるを得ない場所も道を少しずらして丁字路を二つ重ねる形にしてあります。

 

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こちらは、筋違橋(すじかいばし)。写真では奥の方に交差点があることが分かります。橋をかける場所も交差点からずらすことで、十字路になることを避けました。

 

吉晴は、秀吉の大阪の街づくりを直に見て、松江の街づくりに大いに参考にしたはずです。

 

ドラマなどではほとんど描かれませんが、大阪城の周りにも大阪の街が戦時の障害物として囲っていて、寄せ手の徳川勢を大いに苦しめたに違いありません。

 

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こちらは堀尾吉晴銅像松江城築城を陣頭指揮する姿でしょうか。大手門の前に、天守閣に向かう形で立っています。

 

松江をつくった武将たちは、『真田丸』にははっきりとは登場しませんが、信繁と同じ時代を生き、信繁の人生に確かに影響を与えています。

 

そんな彼らのストーリーを知ることで、『真田丸』の世界がより深いものになるのではないでしょうか。