汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

出雲そば 基本のキホン

島根に観光に行って、外せない食べものが出雲そば

 

日本三大蕎麦の一つに数えられ、古くから出雲大社の参拝客に振る舞われていたとも言われています。

 

そばは日本中で食べることができ、頭に地名を付けてブランド化を目指すのは簡単そうですが、出雲そばはよそとは違います。作り方、食べ方ともに特別なのです。そして、そこには歴史に根ざした確かな理由があります。

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蕎麦のスタンダードは江戸?

ちなみに、日本三大そばの残りの二つは戸隠そば(長野県)とわんこそば(岩手県)。いわゆる「江戸の蕎麦」は入りません。

 

一般的に、「東(江戸)は蕎麦、西(上方)はうどん」と言われますが、これは江戸(東京)、大阪という巨大都市のの対比であって料理の特徴にも都市の性格がにじんでいます。

 

江戸の蕎麦には「更科」という有名なブランドがありますが、これはもともと信州(長野県)の地名。江戸の人々は「そばの本場は信州」と考えていた証拠でしょうが、信州を代表する戸隠そばと江戸のそばは全く違います。江戸は江戸で独自のそば文化が進化したということなのでしょう。

 

つまり、江戸の蕎麦が「蕎麦のスタンダード」なのではなく、これもまた非常にローカル色の強い蕎麦のひとつと考えるべきではないでしょうか。

 

出雲そばの秘密

それでは、本題の出雲そばに話を戻します。

 

出雲そばを初めて見た人は「黒い!」と思うはずです。色だけでなく、味と香りも濃厚なのが出雲そばの特徴。

 

その理由は、ソバの実を甘皮のまま蕎麦粉に挽くこと。石臼を使って挽くのが正統とされています。これは、お米に例えると玄米のまま粉にするようなものですから、味と香りが強いだけでなくビタミン類などの栄養分も豊富になります。

 

一般的には、小麦粉などのつなぎを使わず、蕎麦粉と水だけを使って蕎麦を打ちます。つなぎを使わないと麺がぼろぼろになってしまいそうですが、水だけでもしっかりと捏ねることで必要なだけのこしは出せます。

 

このあたり、江戸のそばはシャープでクリアなのどごしを楽しむものなので、つなぎを使ってより細く硬質なそばにする必要があるのかもしれませんが、それは出雲そばの楽しみ方とは違います。

 

なお、ここまでのそばの作り方を見ても分かるように、そば湯も美味しくヘルシーです。

 

そばつゆはまろやかな甘口。濃厚なそばによく合います。

 

それから、薬味にワサビは使いません。ここも江戸のそばとの違いです。辛口シャープな江戸に対して、出雲そばは丸みのある濃厚なそばの風味を楽しむものといえます。

 

出雲そばの薬味といえば、ねぎ(小ネギ)と海苔。そこに、とろろ、なめこ、たまごなどが乗ることもあります。辛味が必要なときは、紅葉おろしを使います。これは大根と唐辛子を合わせておろしたもの。(辛さを増やさず紅色を増すためにニンジンが混ぜられることもあります。)ねぎといい紅葉おろしといい、江戸よりも京文化との影響を感じさせます。

 

それでは、出雲そばの代表的な食べ方、釜揚げそばと割子そばについて見てみたいと思います。

 

釜揚げそば

出雲そばの食べ方としては、割子そばの方が有名ですが、こちらは温かいそばの食べ方。そして、割子そばよりも古い食べ方ではないかと言われています。

 

簡単にいえば、「そば湯で食べるそば」。

 

釜や鍋でそばをゆでたら、そのまま、そばを器に移し、ゆで汁(そば湯)をかけます。そこに、そばつゆや薬味を足して食べます。

 

つゆの量はお好みで決められるので、そば湯の風味を強く出したいという人も、つゆの味をしっかり楽しみたいという人も自分の丁度いいところに調整できます。

 

そば湯で食べるので、割り下を湯で戻した汁とは風味が違いますし、独特のまろみを持つので、より体が温まります。

 

割子そば

割子そばは冷たいそばの食べ方。平底の丸い器にそばを入れ、それを何段かに重ねたものが出てきます。一般的なのは三段重ね。薬味とつゆが別に付きます。

冷たいそばは、そばちょこに入ったつゆにそばを浸けて食べるものと思われるかもしれませんが、割子そばは、そばの方につゆをかけて食べます。そのため、そばつゆは銚子か徳利に入って出て来るのが普通です。

 

一番上の段から食べ始め、一段食べたら、器に残っているつゆと薬味を下の段にかけて食べていきます。

 

もともと割子というのは江戸時代の弁当箱のこと。一説によると、割子そばは松江松平家7代藩主で茶人大名として知られる松平治郷(不昧公)が創始したとも言われます。不昧公は自然や田園の風景を風流に取り入れる「野趣」を好んだと言われており、農民の食べ物だったそば、いわゆるピクニックの道具である割子を組み込んで割子そばを発明したとのことです。

 

当初は四角い重箱だったのが、明治の終わり頃、現在のような丸い形になったのだそうです。

 

出雲そばのルーツはどこに?

出雲そばには戸隠そばとの共通点も多く見られます。松江松平家初代藩主の松平直政が信州松本から松江に移封になっていることから、この際に信州からそば文化が持ち込まれたという説もあります。

 

あるいは長野県北部は河川交通の盛んだった江戸時代には、信濃川を通じて日本海側との繋がりが密接で、日本海交易を通じて出雲地方と交流があったとも考えられます。

 

そして、出雲そばからは、さっぱりとした江戸の文化より豊潤な京都の文化との近さを感じられます。屋台から発展したファストフード型の江戸のそば文化からは、スピード感や硬質感、ミニマリズムが感じられますが、出雲そばはじっくり腰を落ち着けて、余分なものも含めてゆったり食べる感じでよいでしょう。少なくとも、「そばの端っこだけつゆにつけて、素早くすする」といった江戸っ子の蕎麦食い美学は要求されません。

 

京風の理由は、北前船の影響があるように思います。江戸時代には、瀬戸内海から下関を回り日本海沿岸を東北、北海道まで行く航路がありました。この航路を使って、各地の物産が京大阪に集められる一方で、上方の文化が各地に伝播しました。

 

出雲もやはり北前船の航路にあたり、江戸より京都の影響を強く受けているのではないでしょうか。

 

玄丹そばって何?

島根県内でもソバを栽培しており、中でも山間部の奥出雲町が有名です。「出雲国」で穫れたソバを使うのが本来の出雲そばとも言われますが、近年は北海道など全国にソバの供給地を広げています。ソバにもいろいろな品種がありますが、昆虫などに受粉を委ねる他家受粉のため「混血」が進みやすく、厳密な品種の区別はできないと言われています。産地によってブランド化を進める動きはありますが、コメのように「どこが美味い」「味が違う」という話はあまり聞こえてきません。

 

そんな中で出雲そばに使うソバのブランド「玄丹そば」があります。これは、松江市郊外で栽培するソバのブランドで、松江市内の蕎麦店では玄丹そばを食べれるところが多くあります。

 

実は、玄丹そばはもともと「減反そば」の意味。休耕田の代替作物としてソバの栽培を推奨したのが始まりで、歴史は浅く、実は平成になってからできたブランド。「減反」では見栄えが悪いということで、幕末期の人物、玄丹お加代にあやかって「玄丹そば」になったそう。

 

とはいえ、最近よく聞くようになった「地産地消」のはしりのようなもの。日本の小麦粉の大部分は海外からの輸入ですし、そばの方も栽培、製粉、製麺、販売それぞれが遠く離れたところで行われることが少なくありません。

 

安全安心で鮮度がいい地産地消には大いに価値があると言えるでしょう。

 

出雲そばには、玄丹そば以外にも、県内産、市町村内産など地産のソバにこだわった店が多くあります。