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【真田丸】最終回のタイトルは「家康」で ぶつかり合う信繁と家康の自己矛盾

真田丸』最終回、副題は無題だったけど、「家康」でもよかったと思う。最終回として居心地は悪いけど、それくらいに内野家康が素晴らしかった。そして、堺信繁の魅力を引き立てるには、必要なものだったと思う。

 

最終回の最大のテーマは、信繁にとって最大のライバルである家康との対決だ。ドラマとしては、単なる武力の衝突に終わらず、50回のシリーズによって積み上げてきたお互いの魂の激突でなければならなかった。

 

 

最終回のカギになる場面は二つ。

 

ひとつ目は、自軍が壊滅する中、家康が大阪城から上がる煙を見つける場面。ここで、ナレーションは「最後の戦国武将」と家康を形容した。家康より若い信繁は「戦国武将」ではない、ということを暗に言っている。あとで詳しく触れようと思うけど、信繁は安土桃山時代に属する「近世武将」なのだと思う。

 

そして、二つ目が信繁と家康の最後の対決シーン。お互いの人生と魂をぶつけ合う二人だけど、実は自分自身の自己矛盾を吐き出しあっている。

 

家康がはじめて見せた英雄性

本題に入る前に些末なところに触れておきたい。最後の対決シーンで、信繁が短筒で狙いを定める前に、家康は丸腰で立ちはだかる。勇気というより、これは狂気だ。

 

ドラマをたどる限りでは、これを家康の成長、到達点と見ることもできる。だけど、史実を紐解くと、この生来の狂気こそが家康の隠れた英雄性なのではないかと思えてくる。

 

集団戦術が発達した戦国時代にあっても、個人の武勇に対する信仰はあったらしい。大将が武勇を示すことで、全軍が奮い立つ。こうした信仰が、川中島の戦いでの上杉謙信武田信玄の一騎打ちの伝説を生み出したのだと思う。経済が発達し合理的な西国よりも、古い武士の伝統が残る東国の方が、この気風が強かったと思う。

 

こうした風土の中にあっては、計算高く慎重で臆病者の家康では大名としての求心力を保つことができないはずだ。数多の名将と強者に囲まれる中で、家康のカリスマ性を作りだしたものこそ、彼の持つ狂気なのだと思う。

 

家康は戦になると性格が変わる。戦の緊張感が臨界を超えると、慎重さが消え去り危険に対する恐怖が麻痺した無敵モードに入る。歴史資料からは、そうした家康らしからぬ家康の姿を見つけることができる。

 

「超高速関ヶ原」をはじめ、作中で徳川の戦闘シーンの描写が避けられてきたのは、こうした家康の本性を最終回まで隠しておくためだったのではないか、とも思える。

果たして、家康に狙いを定めた信繁の短筒は暴発する。家康は賭けに勝った。運命に選ばれたのだ。ラッキーではなく、彼の英雄性によるものだろう。「鉄砲の弾が避けていく」という伝説中の英雄の姿を体現して見せたのだ。

 

最後の戦国武将とは

「最後の戦国武将」という家康に対する形容は、世代論で理解する必要があると思う。実は、作中ではこの世代論が繰り返し語られていた。

 

家康と同じ世代には、信繁の父、真田昌幸がいる。『真田丸』には登場しないけど、黒田官兵衛もいる。

 

関ヶ原の戦いの時点で、生き残っていたのはこの三人くらい。あと何人かいるけど、残りは死んだか引退していた。おもしろいことに、昌幸と官兵衛は関ヶ原に際して「謎の動き」をしている。そして、大阪の陣の頃には、生き残りは家康だけになっていた。

 

彼らの世代は、信長の覇業より前の時代を知っている。本物の戦国乱世をサバイバルしてきた。いわば、「風の臭いで明日の天気が分かる」ような世代だ。

 

それに対して、彼らより下の世代は「百葉箱を使って天気予報をする」世代なのだと思う。信長、秀吉が天下統一を進める安土桃山時代、その枠組みの中で成長してきた近世に属する世代だ。

 

信繁や兄・信之はもちろんそうだし、それより年長の上杉景勝加藤清正などもこちら側の一期生に入れてもいいのかもしれない。唯一、伊達政宗だけがひどい辺境で育ったために同じ感覚を共有していない。

 

豊臣の世になって、昌幸は精気を失っていく。以前は通用していた政略が、逆に自分の首を絞めていく。乱世は終わり、超大国同士のパワーゲームの時代になったからだ。関ヶ原でも、東軍か西軍か、という選択に困惑する昌幸、当たり前のように受け入れる信繁と信之。そのギャップが鮮やかに示されていたと思う。

 

関ヶ原の戦いは、「東軍か西軍で答えよ」という二択問題だ。選択肢が用意されるのが、おそらく「近世的」なのだと思う。近世に属する武将たちは問題を受け入れ、必死に考えてどちらかの答えを出した。それに対して、戦国に属する武将は「なぜ自由回答ではいけないのか」というところでつまずいて、最後のあがきを見せたのだけど、結局は新しい時代に飲み込まれてしまった。

 

戦国の世はすでに終わった。そして、信繁は近世に属する武将だ。秀吉の近習として成長した信繁は、同世代の中でも濃厚に近世的な考え方を持っていたのに違いない。

 

自己矛盾をぶつけ合う信繁と家康

そして、最終回の対決シーンにつながる。

 

「わしを殺しても、徳川の天下は変わらぬ」と家康は言う。

 

彼が「戦国」を終わらせたからだ。「戦国」から抜け出せない武将はどんどん居場所を失い、淘汰されていった。もはや、「戦国」が生き残る場所など寸土ほども無い。

 

しかし、大坂夏の陣で彼を救ったのは「最後の戦国武将」としての感覚だった。そして、信繁の銃口の前に自らの姿をさらしてみせたのも、もっとも戦国武将的なデモンストレーションだ。家康自身は、どこまでも「戦国」なのだ。

 

ここに家康の矛盾がある。

 

一方、信繁は家康を討ち取ることで世を変えようとしている。経済力と軍事力で圧倒的に負けているのに、敵の大将を討ち取ることで大番狂わせを起こそうという行動は、家康に言われるまでもなく「戦国的」で、時代錯誤でもある。

 

近世に属する信繁は、父・昌幸の体現する「戦国」に対して、ずっと時代遅れだと否定をしてきた。「近世に属する武将」というアイデンティティを獲得することによって、信繁は偉大な父から自らを分化させることができたのだ。「近世」の信繁が、「戦国」をやっている。

 

家康に言われるまでもなく、こんなことで世の中を変えることができないと、信繁には分かる。それでも、やらねばならない。「戦国武将」を演じてみせる。

 

信繁は自分の矛盾に気づいている。

 

お互いの正義をぶつけ合う信繁と家康。しかし、それぞれの正義は巨大な自己矛盾の上に乗っかっている。そのことが、この場面に対称性と均衡を生んでいる。もしかすると、お互いに欠けたところを相手が持っていて、それをぶつけ合うことで信繁と家康の魂が救済されたのかもしれない。

 

そして、丸ロスには家康の孫、松平直政の城下町・松江へどうぞ。真田丸ゆかりの品もあります。

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