この世界の片隅に
戦争の時代を描くと、戦争の話になってしまう。戦争に押しつぶされてしまう。
でも、この作品は戦争の時代を描いても、戦争におしつぶされずにひとりの女性の物語を懸命につづっている。懸命にならないと、戦争に押しつぶされてしまう。
物語の後半にヒロインが泣きながら独白する「ぼんやりした普通の女の子のままでいたかった」という言葉は、この作品そのものの叫びだ。
この物語はヒロインの目に映ったものしか描かない。だから、美しいものが多く描かれる。しかし、醜いものや汚いもの、目を背けたくなるようなものが同じとき同じ場所に存在するのだと分かるようになっている。この物語には現代人の視点を持った人物が登場しないので、うっかりしていると見過ごしてしまいそうになるが、確かにそうしたものが存在すると分かる。
戦争だけではない。封建的な時代の女性のあり方もそうだ。彼女たちは、それを当たり前のことだと受け入れて、「おかしい」とは言わないし、「おかしい」とも思わない。しかし、いろいろなところでキシキシときしみが見られる。
それでも、人は笑うものなのだ。幸せを探し、幸せを見つける。
彼女が無くした右手、母親の左手を握っていた少女。選ばなかった未来が、他者の選んだ現在となって現れる。自分は他者で、他者は自分だ。わたしの境界が溶けて、平行した時間が多層に重なる。死者の人生を生きている。
アニメーションはすべて嘘でできている。だから、どこまでも真実に迫れるのかもしれない。「実話である」かどうかなんて、とても力が弱い。エンドロールを眺めているときも、まだこれが本当にあった物語だったかのような錯覚に浸かっていた。
第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞したこうの史代の同名コミックを映画化。第2次世界大戦化の広島・呉を舞台に「平凡な」ひとりの女性と彼女を取り巻く人々の日常を描いた。