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【おんな城主直虎】(42)茶碗・鉄砲・柵・やおい

第42回「長篠に立てる柵」では、歴史的大事件の裏側のできごとが描かれる。

家康は信長の援軍を得て長篠で武田軍を迎え討つ。大量の鉄砲を用いた新戦術で織田・徳川連合軍は大勝利を飾る。六左右衞門は材木調達の功を認められ、信長から高価過ぎる茶碗を拝領。井伊の者の無事に安堵し、長篠に赴いて戦没者を悼むおとわ。留守居の万千代は真面目に武具を修理するが、手柄を横取りされてしまう。浜松に戻った家康は万千代を寝所に招き「そういうことになってしまおうか」と言うのだが。

 

 

長篠の戦い

天正3年(1575年)、武田氏に属していた奥三河の国衆・奥平氏が徳川に寝返る。徳川方が家康(阿部サダヲ)と瀬名(菜々緒)の間の娘・亀姫を奥平の嫡男・信昌に嫁がせるなどの好条件を提示したためだ。家康に子は多いが正室である築山殿(瀬名)との間に生まれた子は長男の信康(平埜生成)と亀姫のみで、奥平氏は江戸時代を通じて親藩に準ずる高い家格として処遇されることになる。

 

これに対して武田勝頼三河に進軍し、奥平の守る長篠城を1万5千の大軍で包囲。長篠城を落城寸前まで追い込む。

 

一方、徳川軍には信長(市川海老蔵)自らが3万の兵を率いて援軍に駆けつける。織田・徳川連合軍およそ4万は長篠城に近い設楽ヶ原に野戦陣地を構築して武田軍を挑発。勝頼は主力を率いて決戦を挑む。

 

決戦前夜、酒井忠次みのすけ)率いる別働隊が武田軍の背後に回り込み、武田の拠点・鳶ヶ巣山を襲撃。長篠城を解放するとともに武田主力の退路を塞ぐことに成功する。翌朝、武田軍は織田・徳川陣地に突進するが、世に三段撃ちと言われる大量の火力で反撃され大敗を喫する。

 

寡勢の武田軍もよく健闘したとされるが、譜代の老臣・山県昌景馬場信春内藤昌豊など名だたる武将を失っている。なお、後に井伊家の代名詞となる赤備えの元祖は山県昌景率いる武田の部隊だが、後に武田の遺臣を集めた赤備えの部隊を編成することになるとは、このときの万千代(菅田将暉)には知る由も無い。

 

この戦いで家康は三河を統一。遠江の武田との戦いでも優位に立つことになる。一方の武田は攻勢を削がれたものの底力を見せて体制を回復し、その後も家康にとって隠然たる脅威であり続けることになる。

 

今回、おとわ(柴咲コウ)は主人公としての存在感をほとんど見せることができなかった。数万の軍勢と数千挺の鉄砲を用いた大会戦などというのは、遠江の国衆から見れば想像を絶する世界だ。その前ではおとわは無力でしかない。時代は大きく変わってきているのだ。

 

井伊家の者たちを含む近藤勢の無事を確かめると、おとわは長篠に向かう。この戦では大量の命が失われている。それを弔うためだ。戦は時代を動かすものでもあり、出世の手段にもなる。しかし、それは多くの命を奪うものなのだ。死累の山を映すことはできなくても、死者のために祈る姿は見せなければならない。

 

 

信長の茶碗

都からやってきた信長は草深い三河には今まで無かったものをもたらした。茶碗である。

 

信長はこの頃、京や堺の文化人の間で流行り始めていた茶の湯に特別な地位を与え、そこで使う茶器を名物と称し法外と言っていいほどの高い価値を付与しようとした。器ひとつに一国一城の価値があるという。その価値に裏付けは無く、それを取り巻く人々相互の同意で成り立っているという意味では、現代のビットコインのようなものか。

 

信長は娘婿である信康に茶碗を与えようとするが、信康はこれを固辞する。猜疑心が強く酷薄な信長に欲が深く不必要に蓄財をすると思われたくなかったのかもしれないし、父・家康を飛ばして信長から物をもらっては徳川の統率が乱れると思ったのかもしれない。

 

どうにもこの義理の親子はぎこちない。不幸な行き違いがあるように見える。家康の周囲にはこのような行き違いから生まれる家族の不幸がつきまとう。

 

信長は信康の心を見透かして、その態度を褒めることで場を収める。しかし、家康が言うように信長が親子の仲を深めたいと思っていたのならば、もらっておけばよかったのかもしれない。

 

信康は「茶碗は手柄をあげた者に褒美として与えてほしい」と言う。信長は信康の言葉通りに、手柄を立てた者に惜しげもなくこれを与えてしまう。しかも、信康の言うとおりにしたいがためだけにやったようにだ。

 

茶碗をもらってしまったのは、直之(矢本悠馬)と六左右衞門(田中美央)だ。戦場で足りない材木を調達してきたのは、勇猛さよりも土木と物量に価値を置くこの戦いでは大きな戦功かもしれない。とはいえ、城ひとつの価値には釣り合わず、しかも信康と違って家康と近藤(橋本じゅん)を飛ばして茶碗をもらってしまった。近藤が扱いに困って寺に寄進をしてしまうのも分からないではない。

 

直之は茶碗の価値を「美しいから見れば分かる」と言うが、城ひとつに値する美しさなどというものは見て分かるものではない。しかも、田舎の無骨者に過ぎない直之であればなおさらだ。直之も織田の侍にそう言われて教わったのだろう。そして、近藤との間にも同じやり取りがあり、おとわのときが3回目とみた方がいい。

  

滅びた家の子

ノブ(六角精児)が言うように「殿を信じてバッと前へ出る」機会がさっそく訪れてしまった万千代。

 

戦国時代には衆道と言って男色は珍しいものではなかった。個人の性的指向というよりもある種の文化としてあったのだろう。女人禁制の寺院の影響もあるかもしれない。こうした風習が廃れていくのは、江戸時代に入って儒教が武士の道徳として定着してからと思われる。

 

戦国大名が男色のために美童を集めて小姓にするということはあったようだ。そこから大名の側近を経て出世をするというパターンも多くある。しかし、実際には出世を妬んだ者たちの陰口によって作られたケースも混じっていただろう。

 

もともと戦国大名というのは、先祖代々の土地を持った譜代家臣たちの寄合い所帯だ。地縁血縁、領地の広さなどで序列が決まっており、なかなか動かしがたい。しかし、それでは能力本位の登用ができず、組織としても弱い。そこで、戦国大名は自らの手足となって動く有能な側近を重用することで強い力を行使しようとする。ただし序列を無視した登用というのは他の家臣の嫉妬を誘うことになるので難しい。

 

ノブと万千代は「滅びた家の者」と「裏切り者」として、自分にしかできない働きをしようと誓う。結束の固い徳川軍団では出る杭は打たれる。横並びではない特別な仕事は、はみ出し者でなければできないのだ。家康がこの二人を選んだのは、その才能だけでなく境遇もあってのことなのだろう。

 

今回はケレンを使わず真面目に槍を磨き上げた万千代だが、それでも手柄を横取りされデビュー戦以来3連敗となった。それでも家康だけは気付いていた。万千代の初勝利はいつ訪れるのだろうか。