汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

私とお雑煮 外側を持たないまだらな世界を夢見て

正月に食べるお雑煮というのは日本に古くから続く風習ですが、餅の入った汁ものというだけが共通でディティールは各地で異なっています。どこかの大学の研究室が全国お雑煮マップというのを作って、都道府県ごとにお雑煮を分類していました。そこでは私の郷里の島根県は、「丸餅」で「小豆汁」となっていました。全国でも唯一、島根県だけが小豆汁とされていたのです。

 

  

私のお雑煮

それを見て私は思いました。

「違う!小豆汁じゃない!それはお雑煮じゃなくてお汁粉だ!」

私のルーツは島根半島の岬と岬の狭間にある小さな浦に面した農村です。ここでは昔から醤油ベースの黒く濁っただし汁に薬味の海苔を振っただけのシンプルなお雑煮を食べていました。薬味には鰹節やネギなどが乗ることもありますが、決して小豆汁ではないのです。

調べてみると、中国山地の方へ分け入った奥出雲地方でも同じようなお雑煮を食べるということでした。小豆汁というのはどこから来たものなのか分かりませんでした。

それでもと、さらに調べていくと、島根県東部のごく一部に小豆汁のお雑煮を食べるところがあるということでした。お隣の鳥取県でも少しある。ただし、これは小豆汁だけ食べるということではなく、正月の三が日、毎日違うお雑煮が出る、その中で一日、小豆汁のものも出るということでした。

ともかくも、お雑煮というのは都道府県単位で分類し切れるものではありません。市区町村でもなく、それより小さな集落や地区まで分け入らないと見えてこないものもあります。そこには江戸時代の藩を介した文化圏や北前船のような海上交通がもたらした繋がりも影響しているでしょう。あるいはそうした交流から隔絶されたスタンドアローンな土着の文化もあるかもしれません。

嫁取り、婿取りというのは、昔は今より狭い範囲で行われていたかもしれませんが、それでも山の方と海の方といった距離のやり取りはありました。そうした家同士の交流からお雑煮が飛び火して、まだらな分布を作るということもあったかもしれません。

 

私と日本の伝統文化

お雑煮がひとつの家の中で親から子へと綿々と受け継がれてきたのに比べると、日本の伝統文化と言われるものと私との連続性はどうにも繋がりが希薄であるように感じるのです。日本の伝統文化は私の伝統文化なのか?と言えば、どうにもこれは怪しい。

多くの場合、これらは先祖から代々受け継がれてきたものではなく、外側から、ことに最近はメディアを通して与えられるもののように感じるのです。テレビの向こう側から与えられるものであれば、日本の伝統文化であろうとスコットランドのそれであろうと受け取る作法としては同じです。

「これは日本の伝統文化である」「あなたは日本で生まれ育った日本人である」「だからこれはあなたの伝統文化である」といった三段論法で押し付けられているだけで、そこに確かな連続性は無いように思うのです。もしも、「あなたの郷里の風習はスコットランドの古い文化とよく似ているので、あなたは日本に流れ着いたスコットランド人の子孫に違いありません」などという怪しげな話を信じ込まされれば、テレビで見たスコットランドの伝統文化にも郷愁を感じないとは言い切れません。

日本であろうとスコットランドのものであろうと外から受け取る伝統文化と呼ばれるものは、ディックの『追憶売ります』にあるような模造記憶なのではないかと思うのです。

 

少し面倒な話になりますが、境界条件を責めてみたいと思います。

三線で奏でる沖縄の伝統音楽を聴いたときに、あなたはこれを日本の伝統文化だと感じるでしょうか。それとも、エキゾチックなものと感じるでしょうか。あるいは、反対に本土の民謡を聴いた沖縄の人はどう思うでしょうか。

沖縄と本土にもずっと古い時代からの繋がりはあるでしょうが、それを言い出したら水木しげるが南方に自らのルーツを求めたように、フィリピンやパプアニューギニアの辺りまで繋がりを感じる音楽は分布しています。そこまで含めようと思えば、「日本」という言葉ではくくれなくなります。

沖縄はどうでしょう。確かに日本ではありますが、ここで言うところの日本ではないような気もします。では日本とは何なのか。

少なくとも私の先祖は沖縄に住んだことがある人はひとりもいなそうに思うので、そことは連続性を感じられなくても仕方ないのかもしれません。では、江戸や京都や津軽ならどうでしょう。私の先祖には津軽ねぷたを曳いたことがある者もおそらくひとりもいなそうです。その意味では日本の伝統文化と言われる津軽ねぷたも、私の伝統文化ではないように思います。

 

ナショナリズムと模造記憶

スコットランドの人がキルトとバグパイプを自らのアイデンティティとしたのは19世紀のことだったと言われています。それまでこれらは高地地方の一部に伝わる習俗に過ぎなかったのだそうです。

19世紀は近代が始まる時代で、工業化によって街の景色はヨーロッパ中どこに行っても同じになっていきました。それと同時に近代国家が誕生し、経済も軍事も国家をひとつの単位として競い合う時代になりました。近代のひとつの大きな力は普遍性で、それは国や地域を超えて同じ色に染め上げてしまおうとします。それに対して国家は人々を自らに属してひとつにまとまる国民に仕立て上げるために、他の国家と差別化してみせる必要がありました。

その要請からナショナリズムが生まれます。国家は人々に国民としてのアイデンティティを与えるために、その国の伝統文化を創り出し自らの履歴書を飾らなければならなくなります。伝統文化というのはそれ以前からずっと続いていたものですが、19世紀の要請に応じて改めてキュレーションされたものとも言えるでしょう。

半世紀遅れて近代が訪れた日本もこれを模倣します。「欧米化」を進める一方で、日本の伝統文化を再構築して日本人としてのアイデンティティを築きあげる。そうして取り上げられた伝統文化は、興味深いことに現代では高級化しています。庶民の娯楽だった歌舞伎は富裕層の趣味に変わり、相撲は国技として持ち上げられました。

 

ナショナリズムは近代のもたらすグローバリゼーションから国の文化を守る一方で、国家の内側をひとつの色で染めてしまいました。本来、国の中のごく一部の文化だったものが国全体の文化に引き上げられる。その一方で、国家による伝統文化の選定から漏れてしまったものはひっそりと消えていくさだめになりました。

国家がその領域を一色に染め上げたことで、私たちは自分の先祖が江戸の侍であったり平安の貴族だったりする記憶を持つことになりました。しかし、それは津軽ねぷたを曳いた記憶と同じ模造記憶なのではないかと思います。

恵方巻もそうした模造記憶のひとつでしょう。ごく最近広まったこの風習は、それ以前を知っている者が生きている限りはごく新しいものと知れるでしょうが、時間が経てば伝統文化の顔をして大手を振るようになるかもしれません。国家という強い力が関わらなくても私たちは一色に染まった記憶を模造していくようです。

 

外側を持たない世界に生きて

しかし、そんな中、今でもまだら模様を保っているものがお雑煮です。

近年、地方創生が言われるようになって地域のアイデンティティが問われるようになりました。町おこしの一環としてご当地名物が発掘されて持ち上げられたり、新たに創作されたりしています。しかし、それらも地域の外側との差別化という視座から生まれた小さなナショナリズムと言えるでしょう。そうであるなら、それらは都道府県や市区町村という単位で地域をひとつの色に染め上げようとする力を持ちます。

お雑煮はそうしたことに無自覚です。他者との比較から立ち上がったものではなく、ただ脈々と受け継がれ、そこにあり続けたものです。

お雑煮はナショナルでもなければローカルですらなく、ただパーソナルなアイデンティティを支えるものでしかないのかもしれません。それは面としての広がりを持たず、他人が安易にのぞき込むことがはばかられる個人の内面に属するものなのかもしれません。

しかし、そんなお雑煮も現実としてはまだらな模様を描きながら面としての広がりを持っています。私と同じお雑煮を食べる人が家族の他にも確かにいるのです。

他者を持たずに広がりを有するお雑煮という文化に私は希望を持ちたいと思うのです。

 

「共同体をつくる力は共通の敵を持つことで生まれる」という人もいます。つまり、他者との比較によってしか共同体を結びつける共通のアイデンティティは生じないのだというのです。しかし、どうやらお雑煮は敵を持たずに人と人とをゆるやかに繋げているように見えます。

21世紀に生きる私たちは幸か不幸か外側を持たない世界にたどりついてしまいました。かつての人類にとって、外側とは自然であり他の人間の集団であり水平線の向こうのまだ見ぬ世界でした。そして、膨張するためのフロンティアとして、簡便に敵を見立てるための領域として、あるいはゴミやエントロピーの捨て場として、それらは人類に便利な機能を提供してきました。しかし、人類の活動は地球の裏側まで繋がって、自然も人間の経済に対して有限な大きさを持つものでしか無くなってしまいました。

外側を持たない私たちは内側を分断することで無理に外側を作りだし、共同体の結束を保とうとするようになりました。しかし、それが幸福の数以上に多くの不幸を生み出していることは明らかです。

敵を持たないお雑煮のあり方は、外側を持たない現代を生きる私たちにとって一筋の希望のように思えるのです。お雑煮の一色に濁っただし汁に、それが作り出すようなまだら模様の世界を夢見るのです。