汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(34)龍雲丸の自由VS.邪悪な徳川軍団

第34回「隠し港の龍雲丸」では、気賀と龍雲丸に絶体絶命の危機が訪れる。

 

直虎は政次を失ったショックから自分の世界に閉じこもってしまう。徳川と今川方の大沢との戦いは気賀にも及び、方久は大沢方に城を奪われ、中村屋は徳川に味方する。家康は城にいる民を逃がす策を立てるが、家老の酒井は兵も民も皆殺しにしようとする。民を逃がそうと城にいた龍雲党も巻き込まれ、龍雲丸は瀕死の重傷を負う。

 

 

ヒーローでもがんばらなくていい

自らの手で政次(高橋一生)を死に追いやった直虎(柴咲コウ)は、そのショックと喪失感から自分の世界に引きこもってしまっている。直虎の世界は、まだ政次が生きている徳川侵攻前夜で、しかも政次の死の引き金となった近藤(橋本じゅん)の策略を直虎だけが知っていることになっている。そして、碁盤を前に来るはずのない政次を待っている。約束された勝利を前にしたモラトリアムであるこの時間が、今までの直虎の人生で最良のときだったのかもしれない。

 

次々と襲い来る苦難に果敢に立ち向かい、戦うたびに成長し、より強大な敵を打ち破っていくヒーロー(ヒロイン)の姿はそこには無い。直虎は成長しない主人公だ。積み上げて来たはずのものは、簡単に打ち砕かれて無に戻る。昨日までできていたことが、急にできなくなる。領主という社会的地位が奪われたことによるものだけでなく、ひとりの人間としても何もできなくなってしまっている。

 

しかし、がんばれないときはがんばらなくてもよいのだ。南渓和尚小林薫)の言うように、今の直虎は片翼の飛べない鳥だ。無理に飛ぼうとしても、飛ぶことはできない。

 

飛べない者が飛ぼうとして自らを傷つける行為。それを美しいと言う者もいるかもしれない。しかし、それは弱い者を見る視点、傷つく者を見る視点にひどくゆがんだ感情が混ざった者の声だろう。そうした者のために消費をされることはない。

 

中世は暴力的なまでに自由を求めた時代だ。権力による縦の力に囚われまいとして、おたがいの自由と自由を戦わせた時代だ。そして、逃げることも自由であり強さの行使でもあった。上下関係に縛られたまま、死ぬまでがんばるポーズを取り続けることは無いのだ。

 

時代は再び巨大な力によって、すべてのものを縦の関係に収めてしまおうとする秩序へ向かって動いている。しかし、そこからこぼれ落ち、捕まるまいと抵抗する弱く儚い者たちこそが直虎の戦う理由になっていた。

 

いつの日か直虎が目を覚ますときが来るだろう。そのとき、世界は景色を変えて、今とはずっと違った秩序で動いているかもしれない。しかし、直虎も失った翼を癒やしていることだろう。あるいは、翼を持たない別の姿に生まれ変わっているかもしれない。その変成のために、今は眠り続けるのかもしれない。

 

酒井忠次という男

井伊家、そして今回、気賀に悲劇を見舞ったのは、徳川家の家老・酒井忠次みのすけ)だ。酒井は冷徹なマキャベリストで、徳川家臣団至上主義者のようだ。

 

徳川家中における家康(阿部サダヲ)の指導力は非常に低い。長らく三河を離れ、駿府で暮らしていた家康は家柄、経歴ともに優れているが、三河武士団との直接の交流は少なかった。桶狭間の合戦の後、今川支配からの独立を謀った三河武士団に神輿として担がれたというのが実態だろう。

 

それに対して家康は側近の中から優秀な人材を抜擢し、自らの信頼できる直属の家臣を通じて大名権力と強化に努めて行くことになるのだろう。それが、後に徳川四天王と呼ばれることになる本多忠勝高嶋政宏)であり、榊原康政であり、井伊直政であるだろう。遠江出身で、本来は外様である直政が四天王の一角に入り込めるのも、こうした徳川家の事情があるのだろう。

 

そして、家康と家臣団を結ぶキーパーソンが酒井忠次だ。酒井家は松平家の分家で、徳川家中ではナンバー2にあたる家柄だ。そして、家康人質時代の最年長の随行でもある。家康にとっては頭の上がらない兄貴分のような存在だ。家康が担がれた神輿大名であるならば、家臣団のまとめ役である忠次が実質的に大名権力を握っていると言っても過言ではない。

 

しかし、その酒井がどうもおかしい。それには賢く成長する家康の姿が関係ありそうだ。10歳以上年長の酒井にとって子ども時代の家康は、自分が守り導いていく弱い存在だった。しかし、年月が経てば年齢差は関係無くなる。家康は聡明に成長し、ついには自分はおろか、天下無比であろうかのような天才的な才能を発揮しようとしている。そして、家臣たちは家康に心酔しつつあり、今まで酒井が担ってきた役割など無用のものになってしまいそうだ。

 

遠江攻めでの酒井はどうも冴えなかった。浜名湖岸地方の平定の責任者でありながら、事前の調略もその後の大沢攻めも上手くいかない。そこに家康が、気賀を奪還し大沢を屈服させる妙案を出したものだから、男としてのプライドが打ち砕かれてしまったのだろう。

 

酒井も決して悪い人間ではないのだ。長年、辛酸をなめてきた三河武士団が今まで奪われてきた幸福と栄光を取り返すために懸命に努力をしている。しかし、そのためなら他の者がどんな酷い目にあっても構わないという冷酷さが酒井にはある。

 

これから、徳川家の中で立身出世を目指す直政と井伊家にとっては、酒井忠次が大きな壁になって立ちはだかることになるだろう。今川の支配のもと、苦しい思いをしてきた者同士が敵味方に分かれて争うのである。

  

中世の自由が死ぬとき

徳川軍が気賀で老若男女問わず虐殺を行ったのは史実であるらしい。そのこともあってか、江戸時代を経た現代でも気賀の町では徳川の人気が無いのだという。

 

気賀の堀川城を占拠して徳川と戦う山村修理(相島一之)らは、大沢(嶋田久作)の家臣ということになっているが、実際には気賀周辺の土豪であるらしい。気賀も一枚岩ではなく、今川に着くか徳川に着くか、そして、今まで許されていた自治権をどのように回復していくか、様々な思惑を持つ者がいたのだろう。

 

そして、浜名湖の水のネットワークをなめてはいけない。大沢氏は、浜名湖に突き出した堀江城を本拠とすることから分かるように、水運利権に関係する海賊的領主なのだろう。そして、商売上の付き合いで古くから気賀とは繋がりがある。気賀が表向き徳川に味方をしても、裏では秘かに大沢を助ける者もいたに違いない。

 

陸戦主体の徳川軍団には陸地を湖水が隔てているように見えるが、湖育ちの大沢たちにとっては、だまし絵のようなもので、船で縦横無尽に動ける湖の端に陸地がへばりついているように見える。だから、徳川が大沢に敗れて、船をすべて失ってしまうというのも当然なのだ。

 

さて、徳川は中村屋本田博太郎)の協力もあって奇襲を成功させ、形勢を一気に逆転するが、その中で城に集められていた気賀の住民たちを皆殺しにしてしまう。

 

これは織田信長一向一揆との戦いに似たところがある。気賀のような自由都市、新興勢力を巻き込んだ戦いになると、旧来の軍勢同士の戦いと違い、どこまでが戦闘員でどこからが非戦闘員か分からないような状態になる。攻める側は相手のゲリラ戦術に疑心暗鬼になっている。そして、守る側は非戦闘員を人間の盾に使う。現代にも通じる戦争の暗部が現れている。

 

そこに龍雲党が巻き込まれてしまう。中村屋は今までの交誼から、ともに徳川に味方することで身の安全を図ることをすすめる。しかし、龍雲丸(柳楽優弥)は武士に従うことをよしとしない。龍雲丸は気賀が掲げる自由を人間の形にしたような男だからだ。

 

龍雲党は気賀を去り、どこかの港に流れ着いて、時勢を見極めようとしていたのだろう。しかし、城の住民を助けようとして時を逸し、徳川軍の乱入に遭遇してしまう。徳川、大沢、龍雲党が敵味方無く三つ巴で戦う様は、戦争そのものの愚かしさを表しているようでもある。

 

龍雲丸の死は、気賀の自由、そして中世の自由の死を意味するのだろう。時代は「天下布武」に象徴される武士の力による再統合へ向かっていく。

 

これが、もしもすべて直虎の見た夢であったなら助かるかもしれないのだが。