汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(30)謀略に組み込まれたときに心得るべき2,3のことがら

第30回「潰されざる者」では、ついに井伊家が絶体絶命の窮地に陥る。

 

氏真は徳政令を蒸し返して、それを口実に井伊家を潰そうと謀る。心ならずも今川の陰謀に組み入れられた方久は態度が不審になり、政次に見破られてしまう。しかし、氏真側近の関口は既に井伊谷を訪れており、直虎に徳政令実施を迫る。百姓たちは関口の寝所に押しかけ抗議をする。その頃、直虎と政次はそれぞれに秘策を練り上げ、井伊を救うための決意をしていた。

 

 徳政令と直虎と政次

今回、ついに氏真(尾上松也)がかつての徳政令を蒸し返し、実施を強硬に迫ってくる。これが寿桂尼浅丘ルリ子)の最期の策の正体。さしづめ、「死せる寿桂尼、生ける直虎を走らす」といったところだ。

 

このとき発布される関口氏経矢島健一)との連署の文書が、直虎(柴咲コウ)の署名と花押の入った唯一の文書になる。これは直虎実在を示す同時代の数少ない証拠のひとつだ。

 

これだけ書くだけでも来週のネタバレになってしまうが、直虎としては徳政令を受け容れるしか方法は無い。あとは受け容れ後、どういった状態で来たる徳川との戦を迎えるかだ。

 

政令は農民の借金を棒引きにするものだが、銭主(債権者)は大損をする。劇中では、結果として銭主が井伊家の借金取立てを強硬し、井伊家の財政が破綻する、というルールを示しているが、これは視聴者が理解できるように極端に単純化したもので、実際に起きる金融的影響はもっと複雑だろう。いずれにしても、戦国時代の農村地帯にも貨幣経済、信用経済は深く浸透しており、金融システムの破綻によって井伊領の経済と財政が大混乱に陥ることには違いない。水戸黄門的に「よい農民と悪い商人」という図式で裁くわけにはいかないのだ。

 

もうひとつ取り上げるべきは、戦国大名・今川家による井伊領の行政への介入だ。今川家は義元、氏真の代を通じて、領内の国衆や寺社の政治権力や経済特権を取り上げ、今川家への権力集中を目指してきた。

 

直盛時代の検地も史実かどうかは不明だが、そうした国衆の行政権への介入のひとつだ。

 

そして、直虎政権に突きつけられたのが徳政令の実施。本来は領主・直虎の専決事項であるところに、今川氏が実施を命令することで井伊氏の行政権を骨抜きにする。直轄領化へ向けて、こうした既成事実を積み上げて行こうという魂胆だ。

 

直虎の政治家としての実績は、今川の徳政要求を数年間先延ばしにしたことだと考えられている。どうやら、この間に銭主との間に立って債権整理を行い、徳政令後の経済の混乱が最小限になるようにしていたらしい。この部分は、劇中では綿の栽培や材木の伐り出しなど殖産興業的に描かれているが、史実ではもっと地味だったかもしれない。しかし、直虎的に言えば、年表に載るような歴史的事件から離れてでも、これらは丁寧に描くべき価値のあることがらなのだ。

 

そして、その直虎政権を支えたのが方久(ムロツヨシ)と政次(高橋一生)だ。政次は、江戸時代に著された井伊家の史書では極悪人に描かれている。しかし、それは徳川大名としての井伊家の事情を強く反映した歴史であって、直虎の事績を考えれば、今川に対する盾となり直虎の影として井伊家を支えた政次を想像してもいいのかもしれない。

 

そして、いよいよ数百年の汚名を背負うことになる悲劇が政次と井伊家を襲うことになる。

 

複雑に絡み合う謀略 

今川の謀略に巻き込まれた方久は挙動不審になる。海千山千の商人としては意外なほど嘘が下手だ。金儲けのためなら手段を選ばないように見える商人も信用と正直が一番大切ということかもしれないし、ことが金儲けで無いために完全に調子が狂ってしまったのかもしれない。

 

まあ、裏切りは武士の専売特許と考えた方がおもしろい。盛んに忠義を語るのは、むしろ裏切りが日常茶飯事だから。裏切り隠しは武士には必須の技術だが、商人の方久には難しいのかもしれない。

 

それにしても、あまりにも謀略が多く飛び交っていて、誰と誰が秘密を分け合う仲間なのか混乱してしまいそうだ。今川には、政次を介した表の謀略と方久を巻き込んだ裏の謀略がある。直虎は三河との内通を重臣の六左衞門(田中未央)、直之(矢本悠馬)と共有していることになっているが、実際には直虎と政次の間でより深い秘密が握られている。

 

方久は井伊の謀略から除かれている。彼が見る人物関連図はどのようになっているのか。あるいは龍雲丸(柳楽優弥)にはどう見えているか。そして、井伊谷三人衆なども思い思いに謀略を巡らせているのだろう。

 

謀略を謀略で返すためには、謀略を見抜くだけでなく、誰にどの謀略が見えて、どれは見えていないのかまで見抜かなければならない。

 

さらには、謀略には騙す者と騙される者がいるだけでなく、どちらでも無い者もいる。味方を敵と偽れば、どちらでも無い者から刺されるかもしれない。

 

誰が味方で誰が敵か分からない状態で疑心暗鬼が広がって行く。すべての謀略を回収して、心の闇を取り除くことは不可能なのだ。戦争がすべてを破壊し尽くした後にも、不発弾のように謀略がもたらした闇は残るのだろう。