汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(25)オフィシャル対パブリック

第25回「材木を抱いて飛べ」は、高村薫原作、井筒和幸監督の『黄金を抱いて翔べ』のパロディ。妻夫木ならぬ柳楽優弥が、金塊ではなく材木を強奪する。

 

井伊家は気賀を通じて、材木を出荷する。しかし、材木の売り先が三河だったことから、今川家から徳川への内通の疑いを掛けられる。駿府へ申し開きに向かう直虎は、自ら毒を飲み時間を稼ぐ。その間に、龍雲丸の一党が材木を奪還。詮議の場に「井伊の忠義の証し」として、材木を持ち込むのに成功する。

 

 

パブリック・エネミー

今川氏真尾上松也)は、武田家への対抗策としての「塩止め」を皮切りに、気賀に圧力をかけ、井伊家の材木の売り先も監視するなど、徹底的な管理貿易策に打って出た。

 

このような強攻策は、退勢にある今川家の焦りの裏返しとも言える。しかし、大名としての勢いが弱まったとしても、より弱い者たちにとってみれば、その権力はまだ暴力的なほどに強大だ。

 

とはいえ、これらの策は無理が大きい。

 

後の世と比べて、戦国大名領国の国境管理は非常に弱い。そもそも、中世の領国支配は面的ではない。

 

元来の武士は農村を支配する農業経営者だ。大名も面ではなく農村を点として、その集合を支配している。分国内には、建前だけとしても朝廷や公家、寺社の領地があり、独立性の高い国衆もいる。新興の都市と水陸の流通網も、原則として大名の支配に属していない。

 

そういうモザイク状の支配領域で、国境封鎖を完璧に行うのはもとより無理がある。

 

そして、「往来の自由」「商取引の自由」を侵害したことによる今川家の信頼失墜のダメージも大きい。

 

現代の商人でも、こうした「政治的リスク」によって商活動が制限されることを非常に嫌がる。ましてや国民国家以前の時代だ。今川の領地に住んでいるからといって、今川国の国民ではなく、ともに他国と戦う義務も責任も無い。

 

大名は行政を司る存在ではあるが、公私でいえば、あくまで「私」。この時代は、朝廷や皇室ですらも私的機関の色合いが濃厚だった。それに対して、「都市の自由」「往来の自由」は、役所や行政といった意味ではない、より大きな「公」に属するものだった。

 

大名の武力は、都市や商人を屈服させるために十分かもしれないが、それは本来、慣習的に認められた「自由」を庇護するために用いられねばならない。

 

それが守られないとき、商人たちは今川を見限って離れていくことになる。

 

しかし、戦国時代は大名が「私」から「公」への脱皮を模索した時代でもあった。それは、現代的なパブリックの概念とは異なるものの、大名の私領と家宰機関の枠を超え、領土と領民を巻き込んだ分国の一元支配、つまり、国家への指向だ。

 

そのために必要なのが、まず国衆の被官化だ。井伊家に圧力をかけているように、独立性の高い国衆を家臣化し、すべての領地を同一ルールで支配するとともに大名への権力集中を強める。

 

そして、最大の課題が都市への介入だ。農業の支配者である大名が、独立して発展してきた商工業を支配に収めることで領国の一円支配を完成させる。

 

このことは、戦国大名が次の世代のシステムに移行し、乱世を生き残っていくために避けられない宿命だった。常に進化を続けなければ、滅びてしまうのだ。

 

それは、退勢にある今川家を背負った氏真も例外ではない。窮地を脱する起死回生の策として、より強大な権力を持った大名に進化しなければならなかっただろう。

 

商工業の力を背景に躍進したとされる織田信長市川海老蔵)も、都市との関係は必ずしも友好的というわけではない。堺のような自由都市とは暗闘の末に、自らの権力の下に組み敷く形で協力関係を築くことに成功している。

 

しかし、木曽川河口の新興都市・津島に代々勢力を張った織田弾正忠家出身の信長と違って、氏真のやり方はあまりにも稚拙で強硬的に過ぎたのかもしれない。

 

共生がつくるコロニー

材木は重いが、水には浮かぶ。古くは山で切り出した材木は、川上から川に流し、河口部にある木場と呼ばれる天然のプールに集積した。険しい山道を重い材木を背負って運ぶなどクレージー極まりない。そのため、明治になって鉄道が開通するまでは、河川が重宝された。ちなみに最近、廃線になっている山間部の赤字ローカル鉄道の多くは、材木などの積み出しのために敷かれたものだったらしい。

 

井伊領から気賀までは、井伊谷川、都田川を経てダイレクトに繋がる。気賀は浜名湖の奥にある天然の良港で、直接外洋に繋がっているから材木を積む大船も入って来られる。

 

気賀の後背にある河川の流域は、大部分を井伊領が占めている。河川交通の重要性を考えれば、井伊と気賀は花と蜜蜂のような共生関係にあったと想像できる。

 

気賀の大きなメリットは、東西航路の難所、遠州灘に接した安全な中継港ということだが、河川を通じて材木など山の産物、綿花などの商品作物が遠州一円から集まることもメリットだっただろう。さらに、山をひとつ越えれば天竜川を通じて信州とも繋がってくる。井伊領を経てもたらされる産物は、気賀にとって重要な商品になっただろう。

 

井伊氏にとっては、目と鼻の先に武士の権力の及ばない自由都市があることは不気味なことだったかもしれない。しかし、気賀との交易は田地が決して豊かでない井伊領に多くの富をもたらしてくれたはずだ。井伊氏が戦国時代を通じて力を保つことができた背景には、気賀の存在があったかもしれない。

 

しかし、それは領国の一円支配を目論む戦国大名・今川氏にとってはおもしろくない。今川との縦の関係を無視して、横の繋がりによる生態系が生まれること自体、大名家の存在に関わる問題だ。なおかつ、それが敵国・三河との国境で起きているならば、物理的な脅威でもある。

 

今川家が敵である理由がいよいよ明確になってきた。それは、家と家との私怨などではなく、彼らが中央集権の権化として立ちはだかってくるからだ。そして、直虎(柴咲コウ)が気賀にシンパシーを寄せるのも、彼らが大名の支配を受けない「自由な」都市であるから当然だ。

 

これは、灰色のペンキで世界を塗りつぶしてしまおうとする強大な権力から、自由と自治権を守ろうとする戦いなのだ。

 

そして、「公」の意味を問う闘争でもある。大名が「公」を名乗って押し寄せるとき、それは「オフィシャル」ほどの意味でしかない。それに対して、自然権としての自由と自治を掲げた戦いは、より大きな「公」、つまり「パブリック」を形づくるものだ。

 

そのため、直虎の視線は龍雲丸のような下層の民に自ずと向いていく。

 

盗賊から足を洗った龍雲丸(柳楽優弥)一味の最初の大きな仕事が、材木船を拿捕するという海賊行為だったというのは皮肉な話だ。この時代の自由とは、それほどにあやうい自由だ。

 

それでも自由を求めて苦闘を続けなければならない。そして、いつか近世という巨大な波に飲み込まれてしまうとしても、この時代に生きた証しを立てなければならないのだ。