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ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(17)そして父になる

第17回「消された種子島」は副題に反して虎松中心のエピソード。

 

直之に種子島(火縄銃)を見せられた直虎。高価で買えないため、領内で生産しようとする。一方、何をやっても年長の子どもたちに敵わない虎松は不登校に。直虎の努力もあり、どうにか手習いに復帰する。そんなとき、何者かに種子島が盗まれる。犯人は政次で、種子島の製造は謀反の疑いを招くとして、直虎に後見の交代を迫る。

 

 

種子島

鉄砲の伝来は天文11年(1542年)のこと。直親(三浦春馬)の父・直満(宇梶剛士)が謀反の疑いで命を落としたのと同じ頃だ。鉄砲はポルトガル人によって種子島にもたらされ、20年以上たったこの頃には、日本全土でよく知られた存在だった。したがって、本物を初めて見たというなら田舎の話で済むが、初めて知った直虎(柴咲コウ)は城主としては不覚すぎる。

 

全国でよく知られた鉄砲だったが、戦場で有効に活用されるには時間がかかった。まず、重くて扱いに習熟が必要で、発射から発射まで時間がかかり、雨が降ると火縄が湿気って仕えない、など非常に制約の多い武器だったことが理由にあげられる。つまり、個人として扱う武器としてはあまり役に立たない。

 

ただし、扱い方を覚えてしまえば個人の能力と関係無く一定の力を発揮できるので集団戦には向いている。ところが、鉄砲自体が非常に高価で慢性的な品薄であるため、大量に買いそろえることは困難だった。そして、鉄砲の集団戦術には軍制の改革も必要だ。強い経済力を持った大名が直営の専業兵団を抱えないことには難しい。井伊氏のような中小の武士団が自前で調達した武器と兵士を持ち寄る状態では集団戦術のボリュームメリットは出しにくい。

 

これらの問題が解決する安土桃山期以降には、鉄砲の斉射は戦場に欠かせない重要な戦術になっていく。長篠の戦いの「鉄砲三段撃ち」は、宣伝されているほど効果は無かったという説もあるが、鉄砲は戦場での存在感を着実に高めていっていたのは間違いない。

 

鉄砲は伝来以降、すぐに国産化が始まる。鉄砲は多くの部品を組み立てた「機械」なので、従来の日本の金属加工品とは発想が異なる。したがって、腕のいい刀鍛冶なら誰でも作れる代物ではないが、全国各地で生産が行われた。

 

鉄砲の生産地としては、近江・国友村が有名だが、種子島から一気に全国に広がり、さらに生産地を押えた大名が鉄砲を独占して強い力を示したという話は織田信長以前には聞かない。おそらく、鉄砲の生産と流通は大名の権力から独立した商工業者の手によって行われていたのだろう。したがって、領主自ら鉄砲の生産を推奨するという直虎の姿勢は、時代の最先端を行っている。

 

父親のいない子ども

虎松(寺田心)のエピソードは直虎の幼少期のエピソードの焼き直しだ。つまり、「勝つまで何度も続ければ、最後には必ず勝てる」という教えだ。単純なネタも子役がやる分には嫌みになりにくい。

 

しかし、このエピソードでもっとも重要なのは、「直虎は父親の代わりをしている」と看破したあやめ(光浦靖子)の言葉だ。

 

この物語には「父親のいない子ども」がたくさん出てくる。戦国時代なので、父親が死んでいる場合が非常に多い。それだけでなく、さまざまな理由で父性を享受できずに育った子どもも多くいる。そう考えると、この物語は父親の欠落とそれを埋め合わせる物語として解釈できるかもしれない。

 

小野の亥之助には、伯父である政次(高橋一生)がいる。それに対して、女性に囲まれて育った虎松には父親の代わりがいなかった。しかし、親族でもなければ男性でも無い直虎が父親の役割を引き受ける。これは、とても興味深い。

 

虎松の母しの(貫地谷しほり)の心理はとても微妙なものがある。直虎との確執は本家と分家の間の政争とも解釈できる。また、政治によって虎松をその人格ではなく「跡継ぎ」という性質だけで捉えられ、取り上げられてしまうことに対する母親としての怒りと拒絶のようにも見える。

 

これから、井伊家を襲うであろう数多の苦難の中で、直虎としのは虎松を巡ってまだまだ衝突を繰り返すことになるだろう。しかし、「お家のため」という大義を振りかざす直虎の姿に非人間性を認めて抵抗するしのの視点があることは、とても重要な意味を持つ。

 

政次に死角は無いか 

鉄砲の製造を見つけた政次は、それをネタに後見職を譲るよう直虎に迫るが、その真意は今川の追求から直虎を守ることにある。寿桂尼浅丘ルリ子)が病に伏したことで、今川家中の政治バランスは非常に不安定になっている。確かに寿桂尼は強大な敵だが、それが秩序をもたらしていた。むしろ、重石がとれて不相応な権力を手に入れてしまった愚かな小物の集団によってもたらされる無秩序の方が恐ろしい。突発的にありえない事態が起こりえる。いわば、赤ん坊に銃を与えるようなものだ。そして、今川が衰えたとはいえ、その力は井伊を潰すには十分だ。

 

駿府の空気を肌で感じた政次はそのことを恐れている。政次の政治姿勢は、強大な今川の力から井伊を守ることだ。

 

しかし、政次は今川の内側に入り込みすぎ、今川内部の政治だけしか見えなくなっているのではないか。直親を惨殺された記憶から今川の力を過分に恐れてしまっていないだろうか。かつて直親と語らったように、今川から離反するという選択肢を持つことができるだろうか。今川ばかりを見ていると、その外側からの巨大な変化の波にひねり潰されてしまう。

 

今川の味方のふりをして井伊のための壁になるという政次の戦略は今川=井伊という二者の争いを想定したものだ。ここに第三の勢力が現れたとき、政次の立ち位置が裏目に出るのではないか。

 

井伊谷の外には今川の世界があり、さらにその外にも世界がある。そして、世界は激動をしている。井伊谷の中にいると、そのことになかなか気づくことができない。

 

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