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ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(16)ツンデレはつらいよ

第16回「綿毛の案」では、ついに政次が直虎を助ける。

 

方久の提案で瀬戸村で木綿を栽培することにした直虎。しかし、戦乱の後遺症で人手不足が甚だしい。近隣の目付に百姓を借りに行くが案の定、断わられる。

 

たまたま出会った水浴びする男に「人を買えばよい」と言われ、安く買える場所を調べに旅人の集まる方久の茶屋に向かう。直虎を追ってきた政次は「噂を集めるより噂を流す方が早い」と言い残して去る。葛藤を乗り越え政次の策に乗った直虎。これが見事に成功し、井伊谷には各地から逃げ出してきた百姓が多く集まってきた。

 

 

木綿と商品作物の広がり

木綿は現在では日常的に衣料品に用いられているが、日本に入ってくるのは意外と遅く室町時代のことだ。直虎のいる遠江の隣り、三河あたりから栽培が始まったという。

 

それ以前、身分の高い者が絹織物を使うことができたが、庶民の日常着は麻だった。木綿は麻よりも着心地がよく保温性もいい。戦国時代以降、木綿の衣類は急速に日本中に広がっていった。

 

木綿は米や野菜と異なり、商品作物だ。基本的には売る前提で作る。他にも菜種油など多くの商品作物が栽培されるようになったのがこの時代だ。背景のひとつとして商業の発達がある。売買・流通を担う商人がいないと農村だけでは成立しない。おそらく、農村に木綿の種をもたらしたのも商人たちだっただろう。そして、これらは農産物としてでなく、加工品として流通するものだから、ある種の「工業」が介在しなければ成り立たない。

 

直虎(柴咲コウ)自ら木綿の栽培を奨励したエピソードはおそらくフィクションだろう。江戸時代になると各地の大名が財政の立て直しのため商品作物の専売制に熱心に取り組むことになる。しかし、戦国時代にはそうした例はあまり無かったのではないか。

 

とはいえ、この時代の武士は米を中心とした経済に頼るだけではなく、新しい産業である商工業、そして農村に浸透した商品作物がもたらす富を経済基盤に取り込もうと努力していたのは事実だろう。

 

ちなみに室町から戦国期の領地の価値を表す指標は石高ではなく貫高制だ。つまり、領地の経済力を銭の量に換算して表していた。実際に税の収納に当たっては、金銭ではなくそれに相当する物納の例が多かっただろうと思われるが、つまるところ、これは農村の価値が米とそれを生産する田んぼの広さだけでは測れなくなっていたことの表れだろう。

 

ちなみに、戦国末期以降になると石高制が復活し、桃山時代、江戸時代を通じて定着する。というのも、中央銀行を持たない中世の日本では銭の価値が非常に不安定だったからだ。この時代、中国から持ち込まれた宋銭が公式の通貨だったが、日本国内でも粗悪な私鋳銭が大量に作られ大幅な貨幣価値の低下を招いた。同時に、通貨の供給量が全体では不十分だったため貨幣価値の乱高下を引き起こされた。そのため、貫高制では正しく土地の価値を表すことができなくなり、あらゆる産業の経済価値を米に換算して表す石高制に移行することになった。

 

インターネット的

百姓不足を人を買って補おうとする直虎。金銭で売買されるのだから、これは奴隷のことだ。直虎はじめ誰も引っ掛からないところから、この世界では当たり前に行われていることだと分かる。このあたり、見たくないものをさらりと見せてしまう『直虎』のブラックなところが健在だ。

 

この時代、戦乱によって農村が荒廃し人手不足が深刻だったと言われている。それを補うために人が売買されるのだが、調達元もやはり戦乱のあるところだ。戦争の捕虜だったり戦のために農村から逃げ出した百姓を捕まえたのだったりが売りに出された。戦争になると勝ち負けとは関係無く、人も含めた略奪を目的とした者も多く集まってきた。そして、そうした人さらいから農村の百姓を守るのも領主の重要な仕事だった。

 

これは、この時代に急速に発達した商業の闇の一面だ。

 

こうした戦争ビジネスも含めて手段を選ばずのし上がった方久(ムロツヨシ)の財力の秘密は情報にあった。街道沿いに茶屋を設け、そこに集まる旅人たちから諸国の噂話を多く仕入れ、商売に役立てていたのだ。この時代の流通の急速な発達というのが、街道の往来を活発にしていた。

 

江戸時代になると主な街道は幕府の管理するところとなるが、この時代の街道は武士のような世俗領主の支配を受けない「無主の土地」だった。つまり、方久の茶屋は井伊領内にあり、広義には今川の領国だが、領主の干渉を受けずに誰でも自由に通行できる場所だった。室町時代にも関所はあったが通行税を徴収するためのもので、手形(パスポート)を使って通行を制限・監視することができるようになるのは江戸時代になってからだ。

 

もちろん、武士が管理をしないということは、道路がきちんと整備されておらず、ならず者が取り締まられるわけでもない。自分の身は自分で守る危険極まりない西部劇の世界だ。

 

そして、これはインターネット的でもある。国家の枠を超えて圧倒的な情報が飛び交い、どこの国にも属さず、国家による規制を受けない。その一方で、無法者がのさばり、私的制裁が抑止力になる場所だ。国家は安全を守ると称して介入をしようとするが、それでは活力が奪われてしまうと抵抗をする者も多くいる。

 

まさに法の支配を受けないサイバーワールドが生み出すグレーゾーンから、新しい発想、新たな生き方、そして新しい産業と莫大な富が生み出されていたのが戦国時代なのだ。

 

ツンデレコンビの誕生と崩壊

井伊家と直虎を今川から守るために、今川に近づいていたことがおそらく明らかになってきた政次(高橋一生)。今までは直虎が今川の標的になることを避けるために、領主の座から引きずり下ろそうと工作してきたが、直虎が寿桂尼浅丘ルリ子)のお墨付きを頂いたことで当面、直虎下ろしの必要は無くなった。しかし、敵をだますには味方から。秘密を漏らさないために誰にも正体を明かすことはできない。

 

一方の直虎はこれまで政次を目の仇にしてきたが、人集めの件では政次の策をしぶしぶながらも受け容れ、警戒しながらも井伊のため政次の知恵を利用しようと心に決める。

 

形はいびつでぎこちないながらも直虎と政次の名コンビがようやく誕生しそうな気配だ。

 

しかし、時代は大きな潮目を迎えようとしている。

 

今川では実質的に家中を取り仕切る寿桂尼が病で倒れた。徳川は西三河の吉田城を落とし、一時期の窮地を脱して三河を統一しそうな勢いだ。そして、遠く美濃には尾張の織田が戦を仕掛けるという噂がある。

 

寿桂尼が他界すれば今川家中には動揺が走るだろう。そして、彼女の娘たちが支えてきた武田、北条との鉄の同盟にもきしみが生じるかもしれない。

 

また、三河の徳川が力を付けてくれば、今川との間に立つ遠江の武士たちの間にさまざまな動揺と葛藤が起きるに違いない。

 

直虎と政次は苦労の末、「今川に守られた井伊家」という枠組みの中での平穏をどうにか見つけようとしている。しかし、それがひどく揺るがされる時代がひたひたと歩み寄ってきている。

 

そのとき、政次は今川を裏切るのか、それとも井伊を今川に繋ぎ止めるようとするのか。そして、直虎は誰を頼りに、どのような決断をするのだろうか。

 

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