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【おんな城主直虎】(9)自殺願望の父と透明人間の娘

第9回「桶狭間に死す」では、いよいよ運命の輪が回り始め、井伊谷には次々と悲劇が襲う。

 

尾張で今川軍はまさかの大敗を喫し、太守・義元は討ち死に。従軍していた井伊家も当主の直盛をはじめ多くの重臣が戦死する。直盛の遺言で中野直由が当主を代行することになるが、奥山朝利は政次の陰謀を怪しむ。

 

夫を失いながら気丈に戦死した家臣の家族を励ます手紙を書き続ける千賀のもとに、しのが直親の子を懐妊したという知らせが届く。

 

そんな中、朝利が政次を襲撃する事件が発生。政次は朝利を返り討ちにしてしまう。

 

  

信長、姿を現さず

世に有名な桶狭間の戦いは、フィクションの題材として飽きるほど取り上げられているが、敗者の側から描かれたことは数少ないのではないだろうか。

 

今川に従った井伊家の損失は甚大だ。「重臣十数人の討死」というのは、軍勢の動員力が数百人ほどの井伊家にとっては、従軍した「将校」の半数以上が戦死する壊滅的な被害だと想像される。

 

戦の損害は悲劇の序章でしかない。崩れたバランスが生み出す歪みが、次々と事件となって襲いかかってくる。今川義元春風亭昇太)という重石を失った東海地方の政治状況は大混乱となる。周辺の大名、今川家中の重臣、今川に従っていた国衆などが自らの利害で思い思いに動き、あちこちで衝突が起き、敵味方すら分からない状態になっていく。そして、一致団結してこの難局に当たっていく井伊家中も、直盛(杉本哲太)という中心を失い自壊を始める。

 

今川義元は井伊家を抑えつける巨大な脅威だったが、それから解放されると、道理の通じない無秩序が押し寄せてくる。これは、現代の中東で起きている悲劇を見ているようでもある。

 

劇中で、桶狭間の戦い自体はわずか数分しか描かれず、戦後、その影響で起きる出来事の方にフォーカスをされる。これは、次郎法師柴咲コウ)の視点でもあるし、戦に出ない女性、そして、庶民のローアングルの視点でもある。

 

そして、戦国最大の英雄・織田信長は画面のフレーム内に姿を現さなかった。今後の井伊家の運命をみると、いずれ信長が姿を見せそうな気もするし、最後まで際どくすれ違うだけかもしれない。この英雄を描かないことは、『直虎』の「カメラ位置」とこれから描き出される物語の中心を暗黙のうちに宣言しているのだろう。

 

直盛の自殺願望

戦いの中で死を悟った直盛は、随行の奥山孫一郎(平山祐介)を介錯として自害する。

 

直盛の遺言で、井伊谷の本家領と井伊家の政庁に当たる井伊屋敷は中野直由筧利夫)に任されることになる。直親(三浦春馬)は井伊谷に入らず、祝田に居を構えたまま。実質的に、中野が当主を代行し、直親は次期当主に据え置かれたままだ。

 

劇中で政次(高橋一生)は、「戦後の難局に直親を矢面に立たせないための直盛の配慮」と解説してみせる。この後、今川による弔い合戦や国衆の反乱の鎮圧、井伊領周辺の小競り合いなど、戦の発生するリスクは高い。跡取りのいない直親を戦場に出さないためとも考えられるし、政治判断の間違いで直親が内外から責任を問われることを避けるためかもしれない。おそらく、政次の解釈は正しい。

 

あるいは、英雄的資質を持った直親が実権を握ることをかえって危ぶみ、合議による井伊家の運営をうながす配慮と裏読みすることもできるかもしれない。祖父・直平(前田吟)も英傑だったが、そのため、井伊家を滅亡の淵まで追い込んでしまった。家の実力を超える器量の当主を持つことは、かえって不幸を招くのだ。

 

そして、劇中では描かれないが、史実では直親の継承に反対する勢力があったとも想像できる。本家の娘の婿ではない分家の直親では家中がまとまらない。

 

ともかく、そういう状況で直盛は死んでしまった。頼りなさそうに見える当主だったが、いなくなって初めて真価が分かる。内圧と外圧をうまくコントロールして、井伊家を保っていたのは直盛だった。

 

「もはやこれまで」と思えば、自害を選ぶのは武士の作法だ。現代よりも、死が身近にあり生命が軽かった時代のこと、直盛の選択は妥当だったかもしれない。

 

一方で、なりふり構わずどれほど汚いことをしてでも生にしがみつくのも戦国ならではの武士の姿だ。わずかな可能性に賭けて、手段を選ばず井伊谷に逃げ帰るという選択もあっただろう。

 

直盛の遺言には深慮遠謀がある。自らの死がもたらす混乱を十分予期していたのだろう。そうであれば、逃げるという判断もあった。英雄願望のある人物なら、必ず逃げる。英雄として名を残す人は、こういう場面で逃げて逃げ切る。なりきれなかった人も、やはり逃げる。逃げて逃げ切れず、名を落とす。いずれにしても、英雄願望を持つ人は逃げる。自らの死は世界の終わりだという倒錯がある。

 

直盛にはそういったところが無い。自らの生と死も計算して、世界をデザインできる。客観が強すぎて、主観が弱い。自分の我というものが無い。そういう直盛だからこそ、戦国大名に呑み込まれようとする難しい時代の井伊家を舵取りすることができたともいえる。そして、武士の作法に従って、潔く死を選んでしまったのも、彼の中の同じ性質がさせたことだろう。

 

それでも、井伊家の今後を俯瞰すれば、何を置いても死ぬわけにはいかぬ、という判断もできたろう。しかし、直盛は死を選んだ。美しい死という甘い誘惑に取り込まれてしまった。直盛の心にも闇があったのかもしれない。

 

老人は大義に死にたい

重臣の奥山朝利は、唯一、戦場から逃げ帰る。自害を選んだ直盛と比較すれば、この人物の性格がよく分かる。

 

朝利は直盛の遺言を小野の謀略と疑い、その専横を許さぬために立ちはだかろうとする。そのために、まず小野玄蕃井上芳雄)に嫁いだ娘のなつ(山口紗弥加)とその子・亥之助を取り戻そうと企てる。

 

朝利には、戦場から逃げてきてしまった罪悪感があるのだろう。そして、戦場で多くの家臣が命を落とす中で年老いた自分がひとり生き残ったことによる使命感。生き残った自分がやらずして誰がやるのか。死んでいった者たちに申し訳が立たない。

 

しかし、老人のこうした決意は往々にして偏狭で独りよがりになりがちだ。そして、すぐキレる。人生の大半を実利と保身に費やしてきた老人が、最期になってひねり出した大義は、ビードロ細工のように薄くて脆い。しかし、その大義はどういうわけか自らの人生のすべての同義になる。

 

自らの計略が暗礁に乗り上げたとき、衝動的に自滅行動に出るのは、自己犠牲の精神ではなく自己愛の現れでしかない。しかし、これは哀れむべき老人の姿なのだ。

 

心ならずも朝利を斬ってしまった政次だが、謀略によって政敵を抹殺した極悪人のように見られる。どうやっても、そのように見られることを政次は重々承知している。その上で、彼はどのような道を選ぶのだろうか。

 

次郎法師は 透明人間だ

夫の死を悲しむ暇も無く、家中の立て直しに働き続ける千賀(財前直見)を励まそうとする次郎法師だが、直親の子を懐妊したと知らせるしの(貫地谷しほり)にその役を持って行かれてしまう。

 

検地のときもそうだったが、大事なところでの次郎法師の策は無用で終わる。細かなお手伝いには重宝される次郎も、事が大事になればなるほど蚊帳の外に置かれてしまう。

 

直盛の遺言は、直親を政治的な矢面に立たせないためのものだったが、出家の次郎は理想的に重要な場面から遠ざけられてしまっている。

 

このことは、次郎その人の身を守るためには役に立っている。直親の生死は井伊家の存亡に関わるし、政次などは文字通り殺すか殺されるかの争いの渦中にいる。しのとなつの姉妹もその身柄が井伊家の政治に重要な意味を持たされてしまっている。しかし、次郎はその外にいる。

 

「竜宮小僧」としては、もどかしい。大人たちだけでなく、同年代の者たちが政治に巻き込まれている姿を眺めて、出家の身を呪いたくなる。

 

これからも続く井伊家の苦難に次郎法師はどういう行動を取るのだろう。

 

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