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汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【おんな城主直虎】(8)モラトリアムは終わりだ次郎

第8回「赤ちゃんはまだか」では、しのに次郎が振り回される。

 

結婚して4年経っても子宝に恵まれない直親としの。精神的に追い詰められたしのは、次郎法師と直親の仲を疑い、次郎に恨みを抱く。

 

今川から井伊へ出陣命令が来るが、跡取りの無い直親は留守居を命じられる。直親は側室を持つことを受け容れるが、ショックを受けたしのは行方不明に。

 

次郎は死のうとしているしのを発見し、どうにか自害を思い止まらせる。

 

 

しのと直親

次郎法師(柴咲コウ)や瀬名(奈々緒)と違い、三歩下がって夫に従うタイプのしの(貫地谷しほり)は、亭主関白な直親(三浦春馬)に合いそうで合わない。外に出るより家庭に入ってよき妻よき母となる方が向いているしのだけに、子どもができないのは致命的でアイデンティティの危機になるのもうなずける。

 

一方で、子どもが無くてもどうにかなりそうな瀬名に次々と子どもが生まれるのは皮肉な話。

 

次郎、瀬名、しのの三者三様の描き方は現代の女性の生き方と重ねることもできるが、それをわざとらしくなり過ぎることなく上手く取り上げている。物語の最後まで、この三人の人生が絡み合いながら続いていきそうだ。中でも、次郎としのの関係がどう変わっていくのか、そして、頼りなげなしのが母としてどのように成長していくかは注目だ。

 

直親のしのに対する態度は無関心に近い。ひどい態度ではなく、通り一遍にはやさしさを見せるが、どうも心がこもっていないように見える。やはり興味がないのではないかと思う。

 

しのとの結婚も、側室を持つことも、直親は井伊家のためとして承諾した。優等生的ではあるが、女性をぞんざいに扱っているようにも見える。直親の性格的な欠陥なのか、次郎以外の女性に興味を持てないためなのか。本人に自覚は無いが周囲に問題を引き起こしている。

 

親子も元々他人同士

夫婦はもともと他人同士だが、井伊家は親子も他人同士だ。直盛(杉本哲太)と千賀(財前直見)にとって直親は跡継ぎだが、親子になるだけの時間は足りていない。しかも、実の娘は別にいる。直親としのが本当の夫婦になるためにも、直盛、千賀と直親が本当の親子になるためにも、次郎の存在を諦めきれないことが障害になっているのかもしれない。その意味では、しのの言うことも決して思い込みだとは言い切れない。

 

夫婦の関係を支えようにも親子の関係ができていない。まず自分たちがこの若い夫婦と親子にならなければ、と直盛は考える。このような一見、優柔不断のように見えて、繊細で機微をとらえた直盛の振る舞いが、不安定な井伊家の立場をぎりぎりのところで支えているのかもしれない。

 

直盛がいなくなったら、井伊家はどうなってしまうのか。

 

桶狭間の戦い

明けて永禄3年(1560年)は、有名な桶狭間の戦いの年だ。井伊家の面々が出陣するのも、今川家の軍勢に加わり尾張織田信長を攻めるため。古くは、今川義元春風亭昇太)は京への上洛を目指していたと言われていたが、近年の研究では尾張制圧のための親征だったという説が有力になっている。

 

井伊家では、本家は当主の直盛が出陣する一方、跡取りの直親は留守居。小野家は政次(高橋一生)が残り、弟の玄蕃(井上芳雄)が出陣。他に有力な家臣では奥山朝利(でんでん)は出陣し、中野直由筧利夫)は出陣せず。出陣した者と残った者、井伊家の面々の運命を分けることになりそうだ。

 

南渓(小林薫)が「明日、今川の館が燃え落ちるかもしれない」と言ったり、直平(前田吟)が「ひそかに義元の首を狙え」と言ったり、予言めいた言葉が既にちらほらと見えている。

 

どちらが勝つのが井伊のためとははっきり言えない。今川の負けは井伊にとっていいことなのか。昨日の仲間が敵と味方に分かれることにならないか。

 

出家の身の上をいいことに、俗世の政争から一歩引いて狂言回しに徹しようとしていた次郎法師だが、親にも昔の許嫁にもその妻にも自分の存在が影響を与えてしまうことがはっきり分かってきた。戸惑いいらだってみても、それが竜宮小僧と違い生身の身体を持つことの業なのだ。そして、次回以降、次郎はいよいよ俗世の方へ引っ張られていくことになるだろう。そろそろ、主人公として立たねばならない。

 

最後の重要なキャラクターであるしのの人となりが示されたところで、物語の提示は完了。いよいよ激動の展開が始まる。

 

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