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【おんな城主直虎】(3)おとわ、あたまから血が出る

第3回「おとわ危機一髪」は、引き続き子役パート。

 

今川の命による小野の鶴丸との婚約を回避しようと、おとわは出家をしようとする。しかし、その行動が今川の知れるところとなり、今川の屋形のある駿府へ人質として出向くよう命じられる。

 

おとわが駿府に赴くと同時に、南渓和尚は出家を条件に人質を回避しようと今川家中への工作に奔走する。今川の軍師・太原雪斎や、直平の娘で井伊から今川の人質となった佐名へ働きかけるが、工作は難航。おとわは、佐名の不遇な境遇を知る。

 

一方、井伊谷では小野を牽制しようと、直平が鶴丸をさらって人質に取る暴挙に出る。

 

今川の御曹司・龍王丸との蹴鞠の勝負に勝てば、何でも褒美がもらえると聞いたおとわは、龍王丸に挑戦し何度も敗れた後、奇跡的に勝利。

 

雪斎や今川の当主・義元の母・寿桂尼の取りなしもあり、人質回避を勝ち取って井伊谷に帰還する。

 

 

あったかもしれない話

今回は史実には無いエピソード。直虎が人質として駿府に赴いたことは資料から確認できない。

 

直虎に関しては同時代の資料がほとんど無く、江戸時代になって井伊氏や竜潭寺が編纂した記録にも記述がわずかしかない。そのため、ドラマは「あったかもしれない架空のエピソード」によって進んでいくことになる。

 

今回は、今川氏にまつわる重要人物がほぼ登場し、後に徳川家康の妻となる瀬名も姿を見せる。今後の展開に向けた布石となる回だ。

 

 『直虎』は「血」を隠さない

冒頭、おとわは出家をしようと自ら髪を小刀で髪を切る。はさみは古くから日本に伝来していたが、この時代にはまだ布の裁断や散髪に使われていなかったとのこと。おとわは虎刈りのような無様な髪型になってしまう。

 

しかも、よく見ると頭の右側にだらだら血が流れている。誤って頭を切ったのだろうと分かる。

 

別に血を流さなくても、虎刈りだけでも話は通じる。細かい演出だが、なにかにつけて「血の臭い」がするのが、『直虎』の特徴だ。

 

大河ドラマの前作『真田丸』は、男たちの戦いの物語だったが、凄惨な場面が意外なほど少なかった。人の死を隠すのに一役買ったのが「ナレ死」。死を美しく飾らず、無情感を醸し出す効果もあったが、同時に日曜8時のお茶の間から「血」を隠蔽する役割もあっただろう。

 

一方、直虎は戦の世の醜いもの、嫌なものがあちこちに見られる。これは『真田丸』の後を受けて、意図的に挑戦しているのではないだろうか。

 

小刀で頭を切るのは戦乱の世の恐ろしさとは関係無いが、とにかく「血を隠さない」という作り手側の宣言のようにも思える。

 

 未来都市・駿府

戦国時代には、まだ「都市」というものがほとんどなかったらしい。

 

井伊谷の井伊屋敷前に市が立っている設定だが、実際は武士の居館の近くに市が立つことは少なく、寺社の敷地や河原のような場所に定期的に商人が集まって小規模な市が立つのが普通だったようだ。しかも、常設の商店がある街というのもほとんど無かったようだ。

 

当時の感覚では、今川の「首都」駿府は巨大都市だろう。本格的な城下町の出現は信長の時代を待たなければならないが、戦国時代を通じて大名は家臣の集住化を進めており、それに伴って商人や職人がその周辺に集まり、都市を形成し始めていただろう。

 

また、長引く戦乱のため京都は焼け野原になり、商人、職人だけでなく、公家や僧侶(文化人や知識人)も治安が安定している有力な大名のもとへ移ってきた。

 

鉄道もテレビもインターネットも無く、地方には都市らしき都市も無い時代。京都の文化というのは飛び抜けており、地方の住人から見れば、未来的、宇宙人的というほどの感覚があっただろう。

 

今川義元春風亭昇太)が、今日の文化を積極的に取り入れ、自ら公家のような装束に身を包んだのを、腐敗して軟弱化したとみるのは、おそらく、江戸時代の後付け。当時は、進んだ文化の摂取をみせつけることで、今川家の力を誇示することができたのだろう。

 

文化は人に強い影響を与えることができる。「文化など衣食住に関わる仕事ではなく、余暇を潰すだけのもの。無駄遣いに過ぎない」という考えの方が、実は特殊か誤りだ。

 

例えば、古代ローマ帝国は異民族が暮らす新しい植民地に、必ず上水道を引き浴場を造りコロッセオを建設した。これは、支配者の側の持ち出しになる。しかし、それらを造ることで文化によって人々を圧倒し、反感を和らげ、新しいローマ市民として彼らを融合することができたのだ。

 

現代の日本もたいして違わないのだと思う。以前、田んぼの真ん中にできたある新幹線新駅を見たことがあるが、夜になって暗闇の中に浮かび上がる駅の姿は『未知との遭遇』の宇宙船のようだった。これを見せられたら、地元のじいちゃん、ばあちゃんは一撃でノックアウトだろう。

 

ともかく、駿府は桁違いの大都会であり、井伊谷で育ったおとわにとっては肝を抜かれるようなところだったに違いない。

 

人質も悪くないか?

「人質」というと、とかくネガティブなイメージがあるが、立てこもり犯に人質に取られるのとは違う。もちろん、自分の家が謀反を起こせば殺される運命だが、そうでなければ、それほど悪くない暮らしだったようだ。

 

これより数年後、三河の有力国衆・松平氏の嫡男、竹千代が今川の人質として駿府にやってくる。のちの徳川家康だ。家康は、太原雪斎佐野史郎)の教えを受けて育ち、今川の一門に連なる瀬名を妻に迎える。成年後は、松平家の家臣を率いて今川軍の先鋒を務める武将となる。人質というよりは、今川を支える若手エリートとして英才教育を受けているようにも見える。

 

のちに、家康の次男・秀康は豊臣秀吉の人質として大阪で育つが、彼も名目上は、宇喜多秀家小早川秀秋と同格の秀吉の養子。家康が関東に国替えになると、秀吉によって秀康は関東の名族・結城氏の後継者に指名される。もともと、家康の後継者ではなかった秀康にとっては異例の大出世といえる。

 

このように、大事なお客さん、エリート研修生のように扱われる人質の例は多い。『真田丸』の信繁も人質として赴いた上杉家で大切に扱われたし、その後、秀吉に馬廻りとして仕えたのも、見方によっては人質だが、暮らしは人質らしくない。

 

大名にとって、裏切りを牽制するためだけに人質を取るのでは能が無い。裏切りが無ければ人質を優遇することで、相手の警戒感情を和らげることができる。そして、自家の家臣として英才教育をすることで、成長後は忠実で有能な戦力とすることもできる。

 

大都会・駿府で都のように風雅な文化の中で育ち、今川の家来から優れた若者を婿に迎えて井伊家を継ぐという人生も、端から見ればおとわにとって悪いようには思えない。雪斎が「人質などそれほどのことかと思うたのですが」と言うのは、そういう意味なのだろう。

 

鏡映しのおとわと瀬名

佐名(花總まり)は、おとわの曾祖父・直平(前田吟)の娘だから、おとわにとっては大叔母。南渓和尚(小林薫)の妹にあたる。井伊の人質として駿府に行き、太守・義元のお手つきとなった後、家臣に下げ渡されたという不遇の人。人身御供のようなものだ。

 

だから、佐名は井伊家に屈折した感情があるし、一方、井伊家の反今川感情が収まらないのにも佐名の件が影響しているのだろう。

 

佐名の娘・瀬名は、今川義元の落し胤ということになるが、おそらく、瀬名はそのことを知らないだろう。しかし、瀬名の極端な上昇志向の性格は、秘密と屈折を母と共有する周囲の大人たちからの影響を受けて、形作られたものだろう。

 

おとわ、亀之丞、鶴丸に続いて、大人の都合に翻弄されて心に屈折を抱える子どもが、もう一人増えた。『真田丸』が家族の物語なら、『直虎』もまた家族の物語だ。

 

10年前、井伊が今川の軍門に降って、戦後処理のための政略結婚で井伊の新しい当主・直盛(杉本哲太)に嫁いだのがおとわの母、千賀(財前直見)。同時に今川の人質として駿府に送られたのが、佐名。

 

その二人の娘が、おとわと瀬名。鏡映しの二人は、この後も何度も人生を交錯させていくのだろう。

 

 表の子役と裏のドラマ

今回は、「未熟な主人公が、あきらめずに何度も挑戦して、最後に勝利を得る」という、「少年ジャンプ」パターン。子役ものの王道ともいえるし、子役がかわいいから通用する使い古されたパターンともいえる。

 

ただし、それは表で裏のドラマがある。

 

南渓和尚の稚拙な根回しも、直平の暴挙も、計算でない部分も含めて最終的にはおとわの解放の役に立った。

 

そして、南渓と佐名の兄妹の苦い再会もあった。井伊の一族が力を出し合っておとわを助けたのに、二人に笑顔は無かった。

 

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