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汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

君は紅白歌合戦の勝敗を真剣に考えたことがあるか

社会

紅白歌合戦は毎年、批判の的になる。

 

一家団欒でひとつのテレビを囲む時代は終わり、旬の歌手が紅白に出演しなくなって久しい。そもそも、音楽嗜好の多様化と音楽ソフト販売の低迷などにより、「今年を代表する旬の歌手」が誰なのかすら分からなくなっている。

 

ずっと前から「紅白はオワコンだ」と言われているが、これだけ批判が集まるということは「実はみんな見てる」ことの裏返しだ。もちろん、見なくても批判に参加できてしまうのが現代社会の特徴だが、いずれにしても「気になってしまう」ことには変わりない。

 

 

紅組勝利を批判する人々

今年(厳密には昨年)もシュールな演出方法などに対してさまざまな批判を集めた紅白だが、もっとも衝撃的だったのが「紅組勝利に対する批判」である。

 

紅白の勝敗は、「その年を代表する人」からなるゲスト審査員の投票に、「会場」「視聴者」の投票(それぞれ審査員2人分)を加えて決まる。今年(昨年のこと)は、「会場」「視聴者」が白組を支持したにも関わらず、審査員票で逆転し紅組が勝利した。このことに多くの疑問と批判が投げかけられた。

 

「衝撃的」と言ったのは、「紅組勝利」ではなく「それにケチをつけるやつがいる」ということに対してだ。

 

本気で白組が勝ったと思っているのか

身も蓋もないことを言ってしまうと、どっちが勝ったかなんて気にする方がおかしい。

 

あんなものは、「合戦」と銘打っているから取ってつけた洒落でしかない。その洒落を、日本野鳥の会(現在では違う団体)を使って会場票を数えるなど、リソースと予算の無駄遣いをして壮大なスケールでやってしまうのが、年末年始のお祭り気分というものだ。

 

洋の東西を問わず、お祭りというものは意味不明で無駄なことをやると相場が決まっている。大食い競争や早食い競争も、食料の乏しい時代の収穫祭の名残りだ。飽食の時代の奢りでは決してない。「大食いせずに貯めておけば、後が楽なのに」と言うのは野暮というもの。今日一日だけは論理的に正しくないことをやる、それが祭りなのだ。

 

だから、紅白の勝敗には意味が無くていい。「無駄だからやめろ」というのは大野暮天だ。「勝ち負けがおかしい」と非難するのは、それを通り越して愚かとしか言いようがない。

 

「紅組勝利」に文句をつけている人は、本気で白組が勝ったと思っているのだろうか。そもそも、どっちが勝ったか真剣に考えたことがある人がどれだけいるというのか。データとエビデンスを用いて、論理的に理由を説明できるものなら、ぜひともやって欲しい。

 

だいたい、SMAPが出ない時点で白組の不戦敗ではないのか。

 

組織票の存在

実は視聴者投票では、例年、白組が勝つ。おそらく視聴者投票開始(つまり、デジタル放送開始の頃)以来、白組の全勝なのではないか。その理由は、おそらく、ジャニーズファンの存在だ。会場票が白組優勢になる理由も同じだろう。

 

現在のテレビはすべてデジタル受信機だが、双方向通信のためにテレビを回線に接続している人は必ずしも多くはない。さらに、わざわざ紅白の勝ち負けに投票するとなると、もう一段、ハードルが上がる。しかし、ジャニーズファンの熱心さがあれば、これらのハードルを乗り越えて、毎年、しっかり投票ができる。

 

つまり、視聴者投票には「毎年必ず白組に投票する」組織票がかなりの割合で含まれており、浮動票の勢いでこれを覆すのは困難なのだ。

 

「女性アイドルもいるではないか」という指摘もあるだろう。しかし、彼女たちのファンは、この場合、なぜか組織票として機能していない。詳しい理由は不明だが、「テレビを持っていない」あたりの理由が妥当だろう。

 

いずれにしても、「視聴者」「会場」の票に白組有利なバイアスがかかっていることが推定できる。だから、「視聴者・会場が正しく、審査員が間違っている」と考えるのはおかしい。

 

もちろん、審査員が正しいとは言わない。彼らも、旬の有名人だから呼ばれたゲストでしかない。もしかすると、やらせもあるかもしれない。

 

しかし、やらせだったら何だというのだ。タモリとマツコも初めから会場の中に入る予定は無かったし、ゴジラだって本当は来ていない。

 

投票は嘘をつく

インターネットは、今まで閉じていたり間口が狭かったりした分野により多くの人の参加を可能にした。しかし、それが正しい結果を導き出すとは限らない。この場合、「正しい」の定義について重箱の隅をつつくような議論をする必要は無い。多くの人が参加しているのに、その彼らが直感的に許容できる結果にならないことが問題なのだ。

 

分かりやすいところでは、プロ野球NPB)のオールスターファン投票で、故障のため1試合も出場していない川崎憲次郎投手が選ばれたことがあった。これは、一部の悪意を持った人々(彼らをファンとは呼ばない)が、規則をすり抜けた大量の投票によって結果を操作したためだ。

 

あるいは、田代まさしをTIME誌の表紙にしようと大量の投票が行われた例も有名だ。

 

以上は、悪意を持って結果を操作した例だが、悪意がなくても趣旨に反した結果になることがありうる。

 

古い話だが、映画評論家の町山智浩は、その年のベスト映画に『トップガン』が選ばれたことに対し、「『トップガン』しか見てない人がたくさん投票したから」という旨の発言をしている。『トップガン』がつまらないかどうかは別として、映画を1本しか見ていない人が選ぶ「最高の映画」に価値があるとは思えない。

 

ファン投票を疑いだしたNBA

NBA(北米のプロバスケットボールリーグ)のオールスターファン投票の取り組みが興味深い。

 

NBAは、前年までのウェブサイトのフォームを使った投票に加え、SNSなどを使った投票を可能にし、ファン投票の手段を拡張した。それと同時に、前年までファン投票だけで決めていた選出を「ファン投票50%、選手票25%、メディア票25%」に改定している。

 

これは、SNSによって投票の敷居が下がることによって、思いもよらない結果がもたらされることに対して、保険を掛けたのだろう。

 

実際に、人気チームに所属するが、実力的にはオールスターには届きそうもないザザ・パチューリアがファン投票で当確の勢いだ。これは、彼の出身国であるジョージア(旧グルジア)で大々的な投票キャンペーンが張られた結果だと言われている。

 

他にも、今季オールスター初選出が有力視される若手有望株のヤニス・アデトクンボは「ツイッターでウケを狙って票を稼いでいる。」と同じく有望株のジョエル・エンビードを批判している。

 

新しいメディアの利用は、単にファンが参加する機会を増やすだけでなく、今まで無かったさまざまな事態を出現されることになる。参加者を拡大させることを求めながらも、そのことの副作用により内部が変質することに予防線を張る動きがいよいよ出てきた。

 

これが、ドナルド・トランプが大統領選に勝利した後の動きなのは偶然だろうか。

 

「売れてます」という宣伝文句

民主主義は人類史上もっともましな政治制度(ウィンストン・チャーチルの言葉を意訳)だが、しばしば間違った結果を導き出す。理由は極めて簡単で、大多数の人が時間をかけて真剣に考え、対話と議論を通じて確かな意見を持つに至っていないからだ。つまり、いい加減に投票している。

 

ただし、間接選挙で代議員を選ぶ制度自体が、そういう手間を簡略化するための知恵なのだから、すべての人に完璧な準備を求めるのは無理というものだ。そして、常に我々はいい加減な投票をする人を排除したい誘惑にかられるが、それは人類の自殺行為に他ならない。

 

しかし、映画を1本しか見ていない人が最高の映画を選ぶことができないのも事実だ。『シン・ゴジラ』や『君の名は。』は多くの観客を集めたが、本当におもしろいのだろうか。少なくとも、『君の名は。』だけをひとりで10回見た人がどれだけ褒めちぎっても、それが最高の映画である証しにはならない。他にもっとおもしろい映画があるかもしれないじゃないか。

 

たくさん売れることが、よいものの証しであるとは限らないのだ。

 

「売れてます」という宣伝文句は、おそらく家電量販店が使い始めたものだと思う。違和感を持たない人も多いかもしれないが、よく考えるとおかしな言葉だ。

 

これは「他の人も買っているから、きっとよいものですよ。」という意味だろう。つまり、売り手が自分の言葉で売り物を評価する責任を放棄している。

 

「売りたい人のゴリ押しより、大多数の人の支持の方が客観的で信頼できる」という人もいるかもしれない。しかし、「なぜ売れているのか」は誰も語らないのだ。そして、「なぜ買ったのか」を説明できる人もいない。「他の人も買っているから」以上の言葉は見つからないからだ。

 

バカはいいが愚かはいけない

紅白歌合戦の勝敗についても同じだ。「視聴者と会場の投票が白組を支持したから、白組の方がよいパフォーマンスをしたに違いない」という推測は間違っている。逆は成り立つが、これは成り立たない。

 

白組が勝ったと思うなら、あなたの言葉で理由を説明することが重要だ。世の中が白組を支持するかしないかに関わらず、その言葉は常に正しい。

 

しかし、「大多数の支持」だけを根拠に結果を覆したいと思うのなら、それはあなたの鬱屈した感情のはけ口として権威を否定するだけのつまらない行為でしかない。権威の否定といっても、大勢に混ざって石を投げるだけだから、つまらないことこの上ない。

 

もう一度言うと、そもそも、紅白に勝敗をつけようという考え自体がバカだ。

 

どうしても勝敗に不満があるなら、膨大な手間ひまと情熱をかけて自分の正しさを証明しないといけない。これは、さらにバカだ。勝ち負けをつけるバカに輪をかけた大バカだ。

 

しかし、「システムに欠陥がある」と指摘するのは、バカではなく愚かなことだ。

 

正月なので、バカはいい。しかし、愚かはいけない。