「大ナゴヤ」と自分で言っちゃう名古屋人の神経が理解できない
日本一魅力の無い街に輝いた名古屋。
全国主要8都市(他は札幌、東京、横浜、京都、大阪、神戸、福岡)が対象の「都市ブランド・イメージ調査」で、「訪問意向」はダントツの最下位、「最も魅力的な都市」最下位、「最も魅力に欠ける都市」1位の3冠王を達成した。聞き方を変えたり指標値を変えたりしても、名古屋の最下位は動かないであろうことは容易に想像がつく。しかも、この調査は名古屋市が行ったものだというから、泣くにも泣けない。
なぜ、名古屋には魅力が無いのだろうか。考えてみた。
大名古屋
名古屋駅前に「大名古屋ビルヂング」という商業ビルがある。名前の由来はよく分からないが、なんとなく田舎っぽさが満載だ。名前を飾るのに「大」を冠する野放図さがダサい。
質より量である。重厚長大をよしとする。小さなつづらより大きなつづらを持って帰りたい。そんな印象を受ける。
そして、明らかに東京や大阪ほど「大」ではない。下手をすると横浜ほどでもないくらいだ。そんなことにも気付かないお山の大将的な鈍感力を感じるのだ。
ビル自体は昭和の昔にできたものだから、やむを得ないかもしれない。ただ、最近も、ビルの名前にあやかってか、「大ナゴヤ」を冠する名古屋のさまざまなプロジェクトを見かける。はじめはツッコミ待ちなのかと思ったが、どうやら大まじめに「大ナゴヤ」を名乗っているようだと分かってきた。
同じ日本語を話すのに言葉が通じないような薄気味悪さを感じる。
「自分の住む街や国を誇りに思って何が悪い」と言う人もいるだろう。しかし、盲信、過信は破滅を招く。
先の調査では、「他都市の住民が自分の街を『最も魅力的な都市』に選ぶのに対して、名古屋はその割合が低く、東京や京都を選ぶ人の方が名古屋を選ぶ人よりも多い」という結果になった。それだけ見ると、名古屋市民は自己評価が低く、もっと自信を持った方が都市の魅力度向上につながる、と言えそうではある。
しかし、そもそも名古屋はベースとなる評価が低い。「自都市民と全体の評価との乖離」「自都市民と他都市民の評価との乖離」を割り出してみると、名古屋がもっともレバレッジが効いていることが分かる。つまり、「地元へのえこひいき度」は決して低くなく、むしろ他都市よりも高いのだ。(ちなみに神戸、大阪が名古屋に続く)
この状況で「愛国教育」を推し進めるのは、ファシズムでしかない。
愛は盲目
これとは別に、「地域ブランド調査」(ブランド総合研究所調べ)というものがある。この調査では、8大都市ではなく都道府県、市区町村を対象にブランド力のランキングを行っている。
2016年の調査で、都道府県ランキングの下位を占めたのが茨城、栃木、群馬の北関東3県だ。茨城は4年連続の最下位。栃木、群馬も例年下位に低迷している。(なお、名古屋市のある愛知県はこの調査では13位。しかも、上から数えてだ!)
ただし、この3県、住民の地元愛は非常に強いのだという。(出身者による郷土愛ではなく、現在住んでいる県民が対象であることが重要だ。)
つまり、県内の地元愛と、県外からみえる魅力度には反比例の傾向があるということだ。これをマイルドヤンキー的と評する人もいる。いずれにしても、地元に対する盲目的な愛の表れで、閉鎖的で外部の視点による相対的で客観的な自己評価の欠落した状態と読み解くことができる。
自虐とは己を知ること
一方で、地元愛とは一線を画しているのが「自虐PR」だ。ここ数年で一般的になった。
先駆けになったのは島根県。2011年からフラッシュアニメ『秘密結社鷹の爪』とタイアップした自虐カレンダーを販売。「日本で47番目に有名な県」であり、実態も日本一の過疎県であることを逆手にとった秀逸なコピーが人気になった。
すでにお家芸の域である。
その後、「おしい!広島県」など追随する県も多数出てきた。(ただし、「実はすごい」と言いたい感じがにじみ過ぎると残念な結果になる。)
自虐とは、客観的に己を見つめる、ということだ。
相手の視点で表現することは、伝達の基本だ。だから、うまくいく。しかし、田舎は社会が閉鎖的で、外の視点を持つことを非常に苦手とする。
あるいは、自虐というのは価値観の逆転である。東京を頂点とした従来の価値観では「自虐」になるものが、ものさしを変えれば魅力になり得る。地方が生き残るためには価値の逆転しかないし、それができることが示された。(だから「実はすごい」と言ってはいけないのだ。)
昭和の街・名古屋
名古屋は昭和が生きる街だ。「保守的」という言葉にもいろいろな意味があるが、名古屋の場合は昭和コンサバだ。バブルが崩壊する以前の日本がある。
それを支えているのが、製造業のピラミッド型産業構造だ。名古屋を中心とする中京地域にはトヨタ自動車、JR東海といった大企業がある。そして、これらの下に下請け、孫請けの中小企業がピラミッド状に連なっている。ここに、従業員と家族の生活を支える様々なサービス業が巻き付いて巨大な経済圏を作り出している。
戦後、日本の成長期にはこうした産業構造が当たり前だったが、他の地域ではバブル崩壊後の不況などでそうした構造は崩壊している。しかし、どうやら名古屋には、それが温存されている雰囲気がある。
経済的に豊かであることはよいことのようだが、そうとは限らない。古いものが温存され、進取の気風が鈍るからだ。イタリア(ベネチアやジェノバ)がスペインに敗れ、スペインがイギリスに取って替わられたのも、豊かさにあぐらをかいて古い成功モデルにしがみついたからに他ならない。
「大ナゴヤ」の称を好む風土は、そうしたおおらかな昭和性によるものかもしれない。しかし、四半世紀先に進んだ他の地域から見ると非常に後進的に見える。そして、衣食住が足りているため気にもとめずにいたが、気がつくと他の地域に誇れるものが何もないという事態になったのではないか。
まずは、名古屋の上から「大」を捨てることが必要だろう。それが、自分の輪郭をぼやけさせてしまっているのだから。
名古屋ダメ選
ついでなので、名古屋のダメなところをあげつらって行こうと思う。
城で持つ
「尾張名古屋は城で持つ」というように、名古屋には天下の名城・名古屋城がある。尾張藩は御三家のひとつで、徳川家康が幕府の威信をかけ、各地の大名を集めて作らせたのが名古屋城だ。
しかし、この言葉は武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」を踏まえたものと読むべきだ。戦国の名将・武田信玄は、立派な城を築かなかった。これは、優秀な家来を多く持てば堅固な城塞は要らない、という信玄のポリシーによるものだとされる。裏を返せば、名古屋は人材を欠くので立派な城が必要、ということになる。
愛知県は、信長、秀吉、家康という戦国三英傑の出身地だが、優秀な人材はみな彼らが家来に取り立てて連れて行ってしまい、スカウトから漏れた人の子孫が現在の愛知県民、という笑い話がある。
あくまでも冗談だが、あんまり城、城、言われると、やっぱり人がいないのか、という気分にもなってくる。
ちなみに、その名古屋城も戦後、鉄筋コンクリートで再建されたものだ。
木造で再建するプランが持ち上がっているようだが、城に縛られているという意味では何も変らない。
やたら質屋がある
とにかく名古屋は質屋が多い。他の地域ではそういう業態は廃れていて、質屋が何か知らない人も大勢いる。
昔の質屋は庶民が使うものだったが、現在では、貴金属やブランド品の扱いが大半になっているらしい。
ともかく、財産をモノで持つのが、名古屋の主義なのだろう。そして、それを担保に金を借りるニーズが無いと質屋は成り立たない。
詳しくは分からないが、とにかく、他の日本とは異なる文化圏であることは分かる。
神社がテーマパーク化する
桃太郎神社というのがある。名古屋郊外の犬山市には桃太郎伝説があって、という説明は省略して、とにかく桃太郎の人形がたくさんある、ありがたさよりもおもしろさが優先された神社だ。
しかし、桃太郎神社の話をするつもりは無い。問題は熱田神宮だ。
皇室の三種の神器のひとつ、草薙の剣を祀る神社で、創建は景行天皇の頃というから、とにかくめちゃくちゃ古い。織田信長のような有力者から庶民にいたるまで多くの崇敬を集めた非常に由緒正しく社格の高い神社だ。
しかし、中身は意外とテーマパーク的だ。
まず、本殿は伊勢神宮と同じ形をしている。実は明治の中頃にこの形に改められたらしく、それほど伝統に則っているわけでもないらしい。
それから、境内には摂社、末社と言われる小さな社がたくさんある。
まず、清水社、目の神様。これは京都の石清水八幡宮のことだ。
南新宮社。朱塗りで素戔嗚尊を祀る京都の八坂神社。
菅原社。これは天神様で学問の神様。
もちろん、他の神社にもいろいろな神様が祀られているものだが、ここまで揃うと壮観だ。ここに来れば日本中の神社がある、東武ワールドスクエアのような趣きである。
どう考えても、これは宗教的な理由ではなく観光誘致の目的のように見える。
名鉄のホームを何とかしろ
ホームは上りと下りの2つしかない。しかし、名鉄は支線がたくさんあるので行き先はさまざま。さらに種別によって停車駅が変わる。そして、電車がひっきりなしに来る。
混乱を避けるために、種別によってホームの停車位置を変えているのだが、それを知らないと、待ってた電車が来ないということにもなる。
この節は前後の文脈と関係無いけど、腹が立ったので書いておく。
なごや飯を褒めるのは省略します
なごや飯について書こうと思ったが、長くなったのでやめにした。
最後になごや飯を持ち上げて結びとすると、全体のバランスがいいだろうことは重々承知している。しかし、疲れたので省略する。
おしまい。