汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

広い!広すぎる!むきばんだ遺跡

埼玉県民なら誰でも知ってる「十万石まんじゅう」のようなタイトルでお送りしています。

 

十万石まんじゅうが埼玉県民以外にはほとんど知られていないように、あまり知られていない凄い遺跡があります。

 

それが、妻木晩田(むきばんだ)遺跡。弥生時代の遺跡としては国内最大級、邪馬台国かもしれないと言われた吉野ヶ里遺跡の約50ヘクタールを楽々しのぐ156ヘクタールの広大な遺跡です。

 

東京ドーム30個分、というより、ディズニーランドとシーを合わせたよりもまだ広い、と言った方が分かりやすいかもしれません。

 

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マスコットキャラクターは「むきぱんだ」。ダジャレでしょうか。「パンダを剥いたらパンダが出てきた」という金太郎飴のようなキャラクターです。

 

 

鳥取県西部の米子市淀江町と大山町にまたがって妻木晩田遺跡はあります。古代には伯耆国と呼ばれた地域ですが、そう呼ばれるようになるより古い弥生時代後期の集落遺跡です。

 

伯耆富士といわれる大山の支峰、孝霊山の裾野が海に向かって半島状に伸びた丘陵の上にあります。ちょうど平野の中に巨大な軍艦巻を置いたような地形と思えば分かりやすいでしょう。平野と日本海を臨むことができ、背後には孝霊山、さらに後ろには大山が控えます。

 

竪穴式住居約400基、掘立柱建物500基、四隅突出型を含む弥生時代の墳丘墓24基が見つかっています。

 

1~2世紀に最盛期を迎え、日本海側特有の四隅突出型墳丘墓を持つことから、古代出雲を中心とした日本海沿岸の連邦を構成する有力な国のひとつであると考えられます。

 

なお、近隣にも弥生時代から奈良時代にかけての遺跡群があり、「白鳳の里 伯耆古代の丘公園」として整備されています。つまり、数百年の時代を超えて栄えた勢力がこの地にあったというわけです。

 

四の五のいわず、とにかく行ってみましょう。

 

車で行くなら、山陰自動車道淀江ICから5分。JRなら淀江駅からタクシーで5分になります。地図で見ると近そうですが、いわゆる高地性集落で三方が崖、残りの一方は山、そして入り口が山側にあるため意外と遠いです。遺跡の崖下にあたる坂道をずうっと登って行きます。

 

入り口では、高楼を模した看板がお出迎え。「大きな大きな弥生の集落」と書いてありますが、ここで想像するよりさらに広いと思った方が安全です。

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まずは資料館兼休憩所の「弥生の館」と研究棟があります。研究棟は研究施設なので立ち入り禁止。基本的に文教施設なのでお土産などの販売はしていません。

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弥生の人。

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弥生の館の周辺をぐるっと見渡しても、遺跡は見当たりません。とにかく広いです。

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そして、イノシシが出る。

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案内板を発見し、ようやく遺跡の全体像が分かりました。丘陵の突端部にあたる洞ノ原地区、仙谷地区には墳墓や環濠のような祭祀関連施設があります。山側の妻木地区、妻木新山地区は居住エリアになっています。前方後円墳もあるけど、正直たいして珍しくもない。

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そして、びっくりなのは谷を挟んで反対側の尾根にある仙谷地区まで片道なんと1時間!

 

広い!広すぎる!遺跡全部を回るのはあきらめて、行ける範囲で済ますことに決定。

 

まずは、洞ノ原地区を目指します。

 

しばらく行くと竪穴式住居のスケルトンを発見。

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さらに歩くとすごい景色を発見。

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ここから海まで約2キロ。向こうに見える島は島根半島の美保関です。直線距離で20キロほど離れています。

 

美保関には美保神社があり、大国主命の子神、事代主命を祀っています。島根半島の東西で出雲大社と対をなす神社でもあり、信仰上とても重要な意味を持ちます。

 

また、日本海の荒波を避けて潟、津、入江をたどる航路を取った古代の海上交通の要衝でもあります。

 

背後に大山、眼前に美保関を臨むこの地は宗教的に非常に重要な意味を持つように思いますし、地政学的にも重要な地点であろうかと思います。

 

もう少し歩いて行くと四隅突出型墳丘墓があり、遠景に弓ヶ浜半島が見えてきます。

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四隅突出型墳丘墓は山陰と北陸だけに見られる弥生時代の墳丘墓で、「出雲の墓」とも言われます。四隅が突き出た正方形という個性的な形をしています。

 

古墳の原型とも言われており、出雲を中心とした日本海沿岸地方が、他の地方に先駆けて実質的な古墳時代の社会制度に突入していた証とも考えられます。

 

最大のものは出雲市の西谷9号墳で一辺約40mですが、ここにあるものはやや小ぶりです。

 

そして、いよいよ遺跡の突端。高床式建物が再現されています。とにかくすごい景色。

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もともと、環濠に囲まれた二基の建物があった場所。環濠というのは堀ですから、防御の仕組みのように思いますが、囲む範囲が狭すぎてどうも役に立ちそうにない。

 

松江の田和山遺跡もそうですが、宗教上重要な場所を区別する、つまり聖域の境界として環濠を掘ったのではないか、とも思えてきます。

 

ここから来た道を引き返し、山側にある妻木山地区の集落跡へ。いきなり高床式建物がお出迎え。

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そして、多くの住居、建物が復元されています。完全に村です。

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村を見下ろせる小高い丘が「発掘体感ひろば」になっていて、発掘の様子を学べるようになっています。史跡公園内では、もっとも高いところで見晴らしもよいです。

 

こちらが孝霊山。見えませんが、真後ろに雲をかぶった大山があります。

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そして、弥生土器から蛇口が!シャベルからも!

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先ほど、「史跡公園内」で一番高いと言いましたが、「遺跡内」で一番高いのは隣接する松尾頭地区なのだそうです。ここからは村の祭殿とおぼしき建物跡が出土しており、シャーマンらしきものが線刻された弥生土器片も見つかっています。残念ながら、ここには入れませんでした。

 

西の空を見ると雲が割れて、神秘的な光景が見えました。

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