汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

ぼくらは地方で幸せを見つける ソトコト流ローカル再生論

『ソトコト』編集長、指出一正さんが地方で出会った若者たちを「ローカルヒーロー」として紹介しながら「ソトコト流」のローカル再生論を語っています。

 

「地方創生」という言葉が出てきたのはごく最近ですが、地方活性化の取組みというのはすでに半世紀も前から行われています。高度成長時代に大都市に集中した富と繁栄をいかにして地方にも普及、還元していくか、という取組みから始まって、過疎対策、高齢化対策へと目的のラインが後退し続けてきたのは、それらの取組みがすべて失敗してきたからでしょう。

 

指出さんは、あくまでも「ソトコト流」と、地方創生の主流ではなく傍流に過ぎないようなことを言っていますが、死屍累々の中で生き残ったものたちを見てみると、ソトコト流にこそ地方創生の成功のカギがある。そのことが、そろそろ明らかになってきたように思います。

 

 

「そろそろ明らかになってきた」としか言えないのは、地方活性化の成功事例をモデル化して展開する試みがすべて失敗しているからです。だから、疫学的に見て結果からその傾向を見るしかない。

 

本書では、「関係人口を増やす」「未来をつくる手ごたえ」「自分ごととして楽しむ」の3章に分けて14組の地方で活躍する若者を紹介しています。

 

よく地方活性化成功のカギは「人である」と言われますが、個々のストーリーはおもしろくても、なぜ彼らが成功しているのか理由を探し当てるのは難しい。彼らすべてに共通する点を見つけ出すのは困難で、個々に比べればまったく逆向きのポリシーを持っていることもあります。

 

しかし、本書をはじめから最後まで読み通せば、底を流れているようなゆるかな傾向、あるいはもっと弱く空気感のようなものが見えてきます。

 

そして、第1章で語られる指出さんが編集長に就任し、『ソトコト』の新しい方向性を打ち出すまでの経緯も、決して自分を語っているのではなく、紹介する彼らを取り巻く時代の空気感が説明されていることが分かります。

 

ここから、本書の中から「ソトコト流」のキーワードを、いくつか見ていきたいと思います。

 

自分の身体感覚の中につなぎ止めること

DIY」や「自給自足」といったキーワードが繰り返し出てきます。これは、一見、グローバル化する社会から目を背けて非現実的な理想郷に逃げ込んでいるようにも見えます。

 

しかし、おそらく、これは現代社会の行き過ぎた分業化のひずみを正そうという動きなのだと思います。

 

自分が食べるものは店先に並ぶ前、どこからどこへどういう課程を経てきたのかまったく分からない。電気もコンセントの向こう側はどうなっているか分からない。売る側の店員にしても自分が担当する範囲の前後がどうなっているか知らずに売っている。

 

同じように仕事にしても、巨大なシステムの中でほんの一部を受け持つだけで、自分の仕事が誰の何に役に立つのか分からない。工場のベルトコンベアの前に立っている人だけでなく、ホワイトカラーの仕事の人も実はほとんど変らない。

 

本書に登場するローカルヒーローたちは、リーマンショック東日本大震災が大きな岐路になったと言います。それは、まさしく分業化された巨大なシステムが引き起こした事件だったからでしょう。

 

落語に『目黒のさんま』という噺があります。サゲのところで世間知らずの殿様は「さんまは目黒に限る」と言い、庶民はそれを聞いて「そんなところでさんまが獲れるわけないだろ」と笑います。

 

しかし、現代の我々は庶民であるのに世間を知りません。現場にいても過度な分業のせいで、自分が何を作っているのかすら本当は知らないのです。

 

だから、自分でつくるのでしょう。そうすれば、ブラックボックスは無くなります。

 

もちろん、すべてを自分でまかなうことはできません。しかし、それらがどのように自分につながっているか知ることはできる。

 

そして、そのときに大切になるのが、「自分でつくる」という身体で覚えた記憶。そのことが「自分でつくっていないもの」を自分の身体につなぎ止めるために役に立つ。そうやって、自分の身体を拡張していくことで、世界のすべてが正しい手順で自分とつながるのだと思います。

 

それをやり直すには、脳化、器官化した大都市よりも地方の方がずっとやりやすい。

 

自分探しではなく居場所探し

よく「若者の自分探し」ということが言われます。多くの場合、これは揶揄を含んでいます。『青い鳥』のように結局はぐるっと回って元の場所に戻ってくる、それまでのモラトリアムなのだと。

 

世の中がシステムが強固に安定していた時代なら、そういう考え方もできるでしょう。。しかし、元の場所の土台がぐらぐらと揺らいでいたら、戻ることはできません。むしろ、彼らをあざ笑っている人々の方が沈没する船にしがみついているのかもしれません。

 

指出さんは、地方に向かう若者たちを「居場所を探している」のだと評しています。「自分探し」よりも「居場所探し」の方が、ずっと成熟した人に向けられる言葉です。

 

人をシステムにあてはめるのではなく、その人が生きるシステムのある場所、またはこれからそれを作ろうとしているところを探していく。世の中と折り合いをつけるためには、それができる自分を自分の中から探し出す、自分を変えていく、そんなことをする必要は無い。なぜなら、今までの世の中の価値観がどんどん崩れていき、どんどん変っていく時代だからです。

 

そうであれば、自分の居場所、自分が活躍できる場所を探せばいいのでしょう。

 

関係人口を増やす

地方に移住をする人が増えてきていますが、それは非常にハードルが高いことです。仕事や家庭、暮らしをとりまくさまざまな事情から、簡単にどこへでも引っ越せる人もいれば、どうしても今の場所を離れられない人もいます。

 

かと言って、観光旅行というのは一過性のもの。「お金を落とす」「食べて応援」という言い方もありますが、一回限りで途切れてしまいます。敷居は低いが継続性が無い。

 

定住人口(移住定住)でも交流人口(観光)でもない関係人口というのは、住んでいる場所とは関係無く、その地方と継続的に関係する人のこと。交通や通信が発達し地理的制約が低くなった現代だからできるスタイルかもしれません。

 

経済的なものやマンパワーだけでなく、「外の空気を入れる」ことも関係人口の重要な役割でしょう。閉鎖的になりがちな地方にとって、客観的に見ること、都会や他の地方の考え方を知ることは非常に重要なことです。

 

もちろん、仕事を増やす、人を増やす、経済力をつけることが地方創生の目的だという人もいます。きちんと数字で分かる目標を掲げて達成を目指さなければならないと昔の村おこしはたくさんお金を使って「盛り上がった」「元気が出た」と言って終わってしまうことも多かった。その反省に基づいてのことでしょう。

 

「関係人口を増やす」というのも、目的を曖昧にする手段のように見えるかもしれません。確かに、ぼんやり盛り上がるだけで終わってしまう危険性もあるでしょう。

 

しかし、短絡的に数値目標の達成を目指すだけでは、発展性が無く、反動もあるかもしれない。

 

急がば回れ」で裾野を広げることが、より高い山を築くために必要なのでしょう。

 

最初は内を向くこと

コミュニティを育てるコツとして「最初は内を向くこと」をあげられています。ライバルと比較をして、差別化ばかり意識するのではなく、まず中の人に楽しんでもらう。中から暖めて、引力をつくる。楽しんでいる輪に人は集まり、どんどんそれが大きく広がっていくというわけです。

 

いまは、クラウドファンディングという仕組みもあり、コミュニティをマネタイズに使うこともできます。おそらく、クラウドファンディングに向いているコミュニティもそういう中から暖めていくコミュニティなのだと思います。

 

もちろん、中を向くことで閉鎖的、独善的になってしまう怖さもあると思います。中の人が頑張りすぎて、内と外の温度差ができてしまうと、外から人が入って来づらくなってしまう。

 

そこには、外から人が入って来れるゆるさや隙が必要なのかもしれません。

 

課程を楽しむこと

何よりも、ローカルヒーローたちは自分自身が楽しんでいます。「地方を何とかしなければいかん」という悲壮感はありません。使命感はあるかもしれませんが、それが前面には出てこない。

 

成功する、達成することの喜びよりも、その過程を楽しんでいるように見えます。

 

そのことが一過性の成功に終わらず、長く続けていくこと、そして、仲間を巻き込んでいくための何よりのコツなのかもしれません。

 

 

ぼくらは地方で幸せを見つける  ソトコト流ローカル再生論

指出一正

ポプラ社

864円(税込)