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【NBA】一門で読み解くヘッドコーチの系譜 名将が育てるは選手のみにあらず

どんなスポーツでも勝負の行方は選手の力量だけでは決まらず、監督の采配にも大きく左右される。特に戦術が複雑化する最近のNBAでは、ヘッドコーチの力量がチームの成績に与える影響が増えてきている。

 

しかし、コートで活躍する選手と違って、ヘッドコーチのパーソナリティは見えにくい。

 

「名選手は名監督にあらず」の格言通り、スター選手出身のヘッドコーチは少なく、現役時代は地味だった選手がアシスタントコーチとしての修行を経て、ヘッドコーチになることが多い。プロでの選手経験が無いヘッドコーチも昔から少なからずいて、最近は特に増えている。

 

そんなわけだから、ヘッドコーチがどんなルーツを持ったどんな人物なのか、なかなか見えにくい。

 

そこで、注目すべきが「一門」である。

 

 

ヘッドコーチの人格の形成には「師匠」の存在が強く影響する。選手として、アシスタントコーチとして接した、師匠にあたる人物を知ることで、そのヘッドコーチのバスケ観も見えてくるだろう。

 

それでは、現在のNBAにどんな一門があるのか、見ていこう。

 

NBAを牛耳る最大派閥 パット・ライリー一門

現在、マイアミ・ヒートの球団社長を務めるパット・ライリーは、5度のNBA制覇と3度の最優秀監督賞(コーチ・オブ・ジ・イヤー)受賞を成し遂げた名将。80年代のレイカーズをはじめ、ニックス、ヒートの3球団を渡り歩き、1210勝をあげている。球団社長としても、レブロン、ウェイド、ボッシュのビッグ3形成などに辣腕を振るっている。

 

レイカーズ時代は華麗な「ショータイム・バスケット」で全世界を魅了したライリーだが、ニックス、ヒートではビッグ・センターを中心としたチームづくりと強烈なディフェンスが代名詞となった。

 

長年、NBAに君臨するライリーの門下からは多くの優秀なヘッドコーチが巣立っている。

 

まずは、現ヒートのエリック・スポールストラ。選手経験は乏しいが、97年からヒートのスタッフ、コーチとして働き、台頭してきた叩き上げだ。08年から現職で、4度のファイナル進出、2度の優勝を果たしている。

 

次に、ピストンズスタン・ヴァン・ガンディ。95年からヒートでライリーのアシスタントを務め、2003年にヒートのヘッドコーチに昇格。その後、マジックでファイナル進出も果たした。ビッグ・センターを中心としたチーム作りに定評がある。2014年から現職である。

 

選手出身では、現クリッパーズドック・リバースもライリーの影響を強く受けていると言えそうだ。ライリーのチームでプレイしたのは92年~94年までの2年半に過ぎないが、ヘッドコーチとしてアシスタントにライリー一門を多く起用している。直弟子ではないが、心情的には一門の一員だろう。ヘッドコーチのキャリアをはじめたマジックでは弱小チームをプレイオフに導き、最優秀監督賞を受賞。セルティックスでは08年に優勝。13年から現職だ。

 

孫弟子も活躍

ライリー一門の一番弟子といえば、現在、テレビ解説者のジェフ・ヴァン・ガンディピストンズのスタンの弟である。ニックス時代のライリーにアシスタントとして仕え、ニックスのヘッドコーチに昇格してからは、ヒートに移ったライリーと血みどろの抗争を繰り広げた。

 

彼の作るチームの特徴は、ニックス時代のライリー流を受け継ぐ強固なディフェンスだ。

 

そのジェフ・ヴァン・ガンディの弟子筋からも多くのヘッドコーチが生まれている。

 

まずは、ウルブズのトム・シボドー。もともとはウルブズでコーチのキャリアを始めたが、96年にニックスのアシスタントに加わると、ロケッツ時代も含めて10年以上、ヴァン・ガンディを補佐。07年からはドック・リバースのセルティックスのチーフ格を務め、08年の優勝にも貢献した。10年にブルズのヘッドコーチに就任し、今年から現職。厳格なディフェンスを叩き込むコーチとして知られている。

 

ホーネッツのスティーブ・クリフォードもヴァン・ガンディ門下。00年にニックスのスカウトとしてNBAに入り、03年からロケッツ時代のジェフ・ヴァン・ガンディ、07年からはマジックのスタン・ヴァン・ガンディのアシスタントを務めた。13年から現職。やはり、強烈なディフェンスのチームを作っている。

 

スポールストラのヒートからもヘッドコーチが誕生している。グリズリーズのヘッドコーチに就任したデイビッド・フィッツデイルだ。アシスタントコーチのキャリアはそれ以前からあるが、08年から16年まで年少のスポールストラの右腕を務め、2度の優勝に貢献した。今季のグリズリーズもリーグで最高のディフェンス・チームだ。

 

それから、昨年の優勝監督、キャバリア-ズのティロン・ルーもライリー一門に加えてよいかもしれない。現役時代は、フィル・ジャクソンレイカーズでの活躍のイメージが強いが、その後は、ジェフのロケッツ、スタンのマジックとヴァン・ガンディ兄弟のチームでもプレイしている。

果たして引退後は、ジャクソンのレイカーズではなく、ライリー亜流のドック・リバースのアシスタントに。セルティックス、クリッパーズでリバースに仕えた後、14年からキャブスへ。昨年、途中にヘッドコーチに昇格し、優勝を果たした。

 

いよいよ出てきた新興ポポビッチ一門

ライリー一門の対抗馬として台頭しつつあるのが、ポポビッチ一門だ。

 

グレッグ・ポポビッチは96年から20年以上、スパーズのヘッドコーチを務め、90年代、00年代、、10年代の3つのディケードをまたいで5度の優勝を果たし、3度の最優秀監督賞を受賞。昨シーズンまでに1089勝をあげ、現在も更新中だ。

 

驚異的なのは、チームを壊さずに選手の役割を少しずつ入れ替えることで、プレイオフの連続出場を続けていること。攻守にわたって妥協を許さず、緻密なチームプレイを作り上げる。そして、海外出身選手の登用も非常に巧みだ。

 

長らく、ポポビッチ配下からは他チームのヘッドコーチが出そうで出なかった、いよいよ活躍するコーチが出てきた。

 

まずは、ホークスのマイク・ブーデンホルザー。96年からポポビッチのアシスタントを務めたスパーズのすべてを知る男だ。13年から現職に就き、15年には最優秀監督賞を受賞。緻密なスパーズのバスケを他チームに移植してみせた手腕は素晴らしい。

 

 

もう一人は、シクサーズブレット・ブラウン。02年からポポビッチのアシスタントで、やはり13年から現職。まだ結果は出ていないが、若く才能のある選手が揃ってきた。これからに期待できる。

 

往年の名将の系譜も生きている

ライリー、ポポビッチ以外にもNBAの名将はいる。彼らの薫陶を受けたヘッドコーチが現役で多く活躍している。

 

ジョージ・カール一門

ジョージ・カーは、7つのチームでヘッドコーチを務め、1175勝の名将。96年にシアトル・スーパーソニックス(現・オクラホマ・サンダー)でファイナルに進出、13年には名ゲッツで最優秀監督賞を受賞している。

 

カールは、アップテンポな攻撃的なチームの特長を生かしながらディフェンスの意識を植え込むのが得意なコーチだ。ソニックスでは、当時の厳格なイリーガル・ディフェンス・ルールをかいくぐった巧みなゾーンプレスで、リーグを席巻した。

 

ブレイザーズテリー・ストッツは92年から02年まで、ソニックス、バックスでカールのアシスタントを務めた。その後、4つのチームでヘッドコーチとアシスタントコーチを務めたあと、12年から現職。昨季、オルドリッチが去ったチームをプレイオフに導いた手腕が賞賛を集めた。

 

ペイサーズネイト・マクミランは、選手としてカールに師事。98年までソニックス一筋で、ファイナル進出時のキャプテンだ。引退後は、ソニックス、ブレイザーズのヘッドコーチを経て、今年から現職。

 

ラプターズドウェイン・ケイシーも、カール一門に加えてよいかもしれない。日本でのコーチキャリアを終えた94年にジョージ・カール率いるソニックスのアシスタントに加わっている。その後、05年まで、カール、マクミランを支えた。ウルブズのヘッドコーチを経て、11年から現職。弱小だったラプターズを東地区の強豪に育て上げた。

 

もう一人、サンズのアール・ワトソンもカール一門にゆかりがある。現役時代はジャーニーマンだったが、新人としてマクミランソニックスに入った後、カールのナゲッツ、ストッツのブレイザーズでもプレイした。引退後は、カール一門とは系列の違うサンズ傘下でコーチ修行をはじめ、今年から現職だ。

 

ラリー・ブラウン一門

ラリー・ブラウンは伝説のコーチだ。弱小チームを一人前に育てては、大成する前に去っていくことで有名だった。9チームで1098勝904敗。01年はアイバーソンを擁して、シクサーズをファイナルに導き、最優秀監督賞。04年は雑草軍団のピストンズNBA制覇した。

 

短期間でチームをコロコロ変える一匹狼的なタイプなので、一門を形成するような弟子はいないが、彼のアシスタントの中からも優秀なコーチが育っている。

 

グレッグ・ポポビッチもその一人だ。88年から92年までスパーズでアシスタントを務めた。

 

ポポビッチとともにスパーズでアシスタントだったのが、ペリカンズのアルビン・ジェントリー。その後、さまざまなチームをヘッドコーチ、アシスタントコーチとして渡り歩いたベテランコーチのジェントリーだが、NBAでのコーチキャリアはブラウンのもとで始めた。クリッパーズ、ウォリアーズでチーフ格のアシスタントを務めた後、15年から現職。

 

92年、クリッパーズ時代のアシスタントからは、ジャズのクイン・スナイダー。その後、大学やヨーロッパを含む数多くのチームを渡り歩いたのち、ホークスのブーデンホルザーのアシスタントを経て、14年から現職。タレントの少ない小さな街のチームをプレイオフ一歩手前まで引き上げた。

 

ブルズのフレッド・ホイバーグは95年、ペイサーズの新人選手としてブラウンの元で戦った。ブルズ、ウルブズでもプレイし、引退後はアイオワ州立大のヘッドコーチに。15年から現職に就いた。

 

スティーブ・カーはフィル・ジャクソン一門か?

さて、名将といって忘れてはいけないのが、フィル・ジャクソンだ。ブルズで6度、レイカーズで5度の優勝を果たし、歴代最多の1640勝をあげた。最優秀監督賞は1度しか受賞していないが、「強いのが当たり前過ぎたから」というのが妥当な理由だろう。現在はニックスの球団社長を務める。

 

しかし、ジャクソン最大の謎は、これだけ長い間、NBAの頂点に君臨していながら、一門から優秀なヘッドコーチが現れないことである。

 

理由として考えられるのは、ジャクソンの代名詞である「トライアングル・オフェンス」の移植が困難であることだ。あれほど、一世風靡したオフェンス・システムなのに、コピーをするチームがまったく現れないのだ。そして、トライアングルにこだわるジャクソンの姿勢が現在のニックスにも暗い影を落としているとも言われている。

 

ジャクソンがニックス社長に就任した直後の14年、ブルズ時代のメンバーで、当時はテレビ解説者だったスティーブ・カーを新ヘッドコーチにリクルートしようとしていたことは、周知の事実だ。

 

しかし、カーはウォリアーズの新監督職を選び、ジャクソンを袖にする。そこで、ジャクソンが連れてきたのは、レイカーズ時代のメンバーで現役を引退したばかりのレック・フィッシャーだった。

 

修行期間を経験していないフィッシャーにニックスのヘッドコーチは荷が重く、1年半でわずか40勝しか上げられずに解任となった。その間に、カーは2年連続ファイナル進出、優勝とシーズン最多勝まで果たしたのだから、皮肉な話だ。

 

カーとフィッシャー以外に誰かいなかったのか。今季は一門の外からジェフ・ホーナセックを迎えて、ようやく勝てるチームになってきた。

 

さて、無敵のチームを築き上げたスティーブ・カーだが、アシスタントコーチの経験は無い。テレビ解説者を経て、いきなりヘッドコーチというアメリカでは珍しいタイプだ。

15年の現役キャリアのうち、ジャクソンのブルズでプレイしたのは5シーズン。しかし、その後、ポポビッチのスパーズでも3シーズンプレイしている。

 

カーをジャクソン一門の出世頭と位置づけるのは、早計だろう。カーの気持ちの中にポポビッチ一門としてのアイデンティティがあるとすれば、ニックス監督就任を断わったことに合点が行く。

 

もう一人、レイカーズ再建に奮闘する若きルーク・ウォルトンも現役時代、ジャクソンの元でプレイした。しかし、ジャクソン一門というよりスティーブ・カー一門だと、誰が見ても思う。ウォルトンの忠誠心の対象はジャクソンではなく、レイカーズなのだろう。昨オフ、ニックスのヘッドコーチの椅子も空いていたが、彼は今の仕事を選んだのだから。

 

スターになれなかった男たちに光を

こうして、さまざまな一門を見て来たが、これから一門を築こうという動きがあったり、一門を離れていろいろなチームを渡り歩く仕事人型のアシスタントコーチがいたりとNBAのコーチ界にはさまざまな動きがある。

 

チームの躍進の陰には凄腕のアシスタントコーチの存在があり、他チームのヘッドコーチに引き抜かれてようやく陽の目を見るということもある。

 

NBAのコーチにスター選手はほとんどいない。多くが選手としての挫折を経て、今の場所にいる。そんな男たちに少しだけ光を当ててみるとNBAはもっとおもしろくなる。