【真田丸】丸ロスなら松江においでよ 癒しの裏真田丸ツアーににどっぷり浸かろう
『真田丸』、涙無しでは語れぬ最終回でした。
さっそく丸ロスに陥ったみなさんにお知らせです。
『真田丸』といえば松江です。丸ロス癒やすなら、松江ですよ。
最終回で幸村を討ち取ったのが、松平忠直の越前藩。『真田丸』本編では、そこら辺がうやむやになっていましたが、そうなのです。直前の7時のニュースでは、ちゃんと言っていましたよ。
そして、その越前の流れを汲むのが松江です。敵ながら、幸村の勇姿を武士の鑑と尊び、代々語り継いできたのです。幸村ゆかりのお宝もありますよ。
本家本元の上田、沼田が人気なのは仕方ない。仕方ないけど、混みますですよ。
かといって、仙台・伊達はずんだだけ。ドラマでは目立ちましたが、ずんだ餅しかありません。だったら、通販でもいいじゃないですか。今は冷凍ずんだもある時代ですよ。
仙台行くくらいなら松江です。
丸ロスを癒やす『真田丸』ゆかりの穴場タウン・松江の見所をご紹介します。
真田丸の真の姿を伝える絵図が再公開
今年、松江で真田丸の絵図が発見されました。真田丸を描いた多くの絵図の中でも非常に詳細で、大阪の陣の時代に近い時代に描かれた信憑性の高い絵図と考えられています。
従来、真田丸は大阪城本城に接した半月状の防御施設だと考えられてきました。しかし、近年、大阪城から離れた場所に築かれた独立した砦だったという新説が唱えられるようになりました。松江で見つかった絵図は新説の方を強く支持する証拠資料となります。
『真田丸』では、要塞・真田丸の形がはっきり映し出されてはいません。しかし、オープンセットとして再現された真田丸やドラマの脚本・演出は最新の資料に基づいており、松江で発見された絵図もドラマの中の真田丸像に大きな影響を与えたと考えてよいでしょう。
なお、真田丸絵図を所蔵する松江歴史館では今年秋の特別展で絵図を展示していましたが、『真田丸』人気に答える形で12月16日(金)~1月18日(水)の間、期間限定で再展示を行います。年末年始も無休です。
話題の「大坂 真田丸」絵図を期間限定で展示します | 松江歴史館 - 松江城東隣・松江の歴史を紡ぐ場所 -
真田と松江をつなぐ若武者・直政
一見、無関係そうな松江で真田丸の絵図が見つかったのはなぜなのでしょうか。
カギを握る人物が松江松平家初代・松平直政です。越前藩主・結城秀康の三男として誕生した直政は、徳川家康の孫にあたります。大坂冬の陣当時は14歳。まだ領地を持っていない「部屋住み」の身分で、父の死後に越前藩を継承した兄・忠直の部隊の一員として初陣を飾ります。
忠直率いる越前隊は、大阪の陣で最激戦地を受け持った部隊のひとつで、最多の戦死者を出したとも言われます。冬の陣では真田幸村が守る真田丸を攻撃し惨敗を喫します。夏の陣でも野戦に打って出た幸村隊と激突。苦戦を強いられますが、最終的には幸村を討ち取り、徳川方を勝利に導きます。
越前藩は、敵として大阪の陣の幸村をもっともよく知った大名であるといえるでしょう。
松江に伝わる真田丸絵図は、このとき、越前隊の一員として戦闘に参加した家臣たちの証言から作成された可能性が高いと考えられます。彼らの一部が、のちに分家して松江に移った直政に付き従い、絵図を作成し守り伝えたというわけです。
なお、初陣の直政は、冬の陣の真田丸攻撃に参加したとき、その勇姿を敵である幸村から賞賛され、軍扇を贈られたと伝えられています。
『真田丸』では描かれませんが、第45回「完封」のときのできごとです。
このとき、直政が手に入れた幸村の軍扇は、松江藩の家宝となり、現在は、松江城天守閣内に展示してあります。周りには、松江の武士たちの甲冑が展示してあるので、『真田丸』当時の空気を感じることができます。
大阪の陣の戦功が認められた直政は、翌年、上総姉ヶ崎の大名になります。そして、越前大野、信州松本を経て、寛永15年(1638)に出雲松江18万6千石の大名となります。
大阪の陣で見せた勇猛さの反面、直政は「油口」と陰口を叩かれるほどのおしゃべり上手で社交家だったといわれています。もしかすると、幸村と直接対峙した直政が、大阪の陣での幸村の姿を多くの大名たちに語り広めた、ということがあったかもしれません。そうであるなら、徳川の世で、賊将となった幸村が大きな人気を獲得したことに、直政が一役買ったと考えることができるでしょう。
ちなみに「目黒のさんま祭」でも有名な落語の『目黒のさんま』(【名人 古今亭志ん生】落語「目黒のさんま」 - YouTube)。主人公の殿様の正体は謎ですが、一説には「松平出羽守」と伝えられています。これは松江松平家の藩主が代々名乗った名前です。時代的に、直政が殿様の正体ではないか、とも言われます。
さらに余談が続きますが、松江松平家の江戸屋敷は赤坂見附の現在の衆院議長公邸の場所にありました。『目黒のさんま』では、ここから目黒方面に遠乗りにでかけたということになります。
松江には、直政の大坂冬の陣での騎馬姿をかたどった銅像があります。もともと三の丸だったあたりの芝生の敷地の中に城に向かう形で立っています。
秀吉直伝、国宝・松江城
松江城の天守閣は全国で12しかない江戸時代から続く天守閣のひとつ。1611年建築を裏付ける証拠が発見され、国宝に認定されました。
つまり、大阪の陣の時点で、すでにこの城は建っていたことになります。
当時の藩主は堀尾忠晴。豊臣秀吉子飼いの家臣、堀尾吉晴の孫にあたります。
堀尾吉晴は、織田信長の岐阜城攻めの際、搦め手を受け持つ秀吉の道案内をしたという伝説のある非常に古い秀吉の家臣。石田三成や加藤清正たちのような派手なポジションではないものも、家康が関東に国替えになったときに秀吉から家康の旧領・浜松を任せられたり、秀吉晩年には三中老に任命されるなど、秀吉の信頼の厚かった人物です。
関ヶ原前夜の第31回「応酬」には豊臣方が家康を詰問する場面が出てきます。過去の大河ドラマ「功名が辻」などでは、ここに吉晴がいるはずですが、『真田丸』には残念ながら出てきません。
吉晴は、関ヶ原の戦いで東軍に付き、戦後、出雲隠岐24万石の大名となります。
戦国大名の尼子氏、毛利氏の時代、出雲の本城は月山富田城でしたが、交通の便の悪い場所にある山城だったため、松江に新しい城を築くことにします。
長年秀吉の薫陶を受けてきた吉晴が、その知識と経験をすべて注ぎ込んで造ったのが、松江城と松江の城下町。秀吉がつくった大阪の街のミニチュア版といえるのではないでしょうか。加藤清正が築いた熊本城や徳川家が威信をかけて造った姫路城ほどのスケール感と豪華さは無いものの、コンパクトにまとまった質実剛健な城になっています。
松江は宍道湖と中海という二つの湖を水路(大橋川)が結ぶ地点にあり、大軍で攻め寄せにくい地形になってます。
街道(現在の国道9号線)の城側には寺社町があり、戦時には前線基地とすることができます。また、この辺りには雑賀町という鉄砲足軽の長屋もありました。
ここを超えると天然の外堀とも言える大橋川があり、それを超えても城下町には細かい水路がめぐらされており、敵の行く手を阻みます。なお、この水路群は「堀川」と称され、平和な時代には物資の運搬に使われて城下町の流通を支えました。現在では観光遊覧船のルートとして人気があります。
城下町は一般的に、狭い道が入り組んだつくりになっているといわれますが、こうした風情が残っているのが城の北東にあたる北堀町のあたりです。
松江城の天守閣は、松江の街と宍道湖の美しい風景が見られ、歴史ファンならずとも楽しめます。現存天守閣の他に、復元された櫓、堀の周辺には武家屋敷、『怪談』で知られる小泉八雲旧居、そして、真田丸絵図を所蔵する松江歴史館などがあり見どころが満載です。
なお、城の北側にある「明々庵」が隠れた天守閣の撮影スポットになっています。木々が邪魔になっていい写真が撮れないと思ったら、ここに行ってみるとよいでしょう。
堀尾家は3代で断絶となり、京極家を経て、松江は松平家が治めることになりますが、堀尾吉晴は現在でも松江で愛されている武将です。
吉晴の幼名である「茂助」は地元では有名で、名産のあごのやき(かまぼこのようなもの)のブランドにも使われています。
松江城の大手門の前には、堀尾吉晴の銅像が建っています。松江の城造りを陣頭指揮する様子ではないかと思われます。
ついでに縁結びも
さて、出雲といえば縁結び。真田ついでに縁結び祈願はいかがでしょう。
松江城周辺には、「雨粒御伝(あまつぶおんでん)」という雨粒の形をした石像が配置されており、すべてを巡ると願い事が叶うとか!?お城散策のついでにも楽しめます。
少し足を伸ばすと、神話にゆかりのある縁結びの八重垣神社があります。こちらは、鏡の池に紙を浮かべてご縁を占う「鏡の池占い」が人気です。
他にも、美肌温泉、古代のパワーストーン、女子力アップスポットが多数あります。『秘密結社・鷹の爪』の吉田くんがこちらでまとめています。
なお、縁結びの総本山・出雲大社とは40キロほど離れています。松江から行くならば、松江温泉駅から一畑電鉄を利用するのがオススメです。2両編成ののどかなローカル私鉄ですが、レアものの旧式車両を大事に運用しているので鉄道ファンには大人気。そうでない人でも風情を感じることができるでしょう。そして、宍道湖の北岸がずっと走ることもあり、景色もきれいです。ときどき、ご当地ゆるキャラ「しまねっこ」を乗せたご縁列車も走っています。
そして、やっぱり食べる
丸ロスで心にぽっかり穴が開いているなら、山陰の食で満たしましょう。若干、別バラ感が無くはないですが、確かに満たされますよ。
せっかく松江に行くのであれば、日本海と宍道湖の海の幸を楽しみましょう。オススメはカニ、イワガキ、シジミ、ノドグロです。
冬の日本海の味覚といえば、もちろんカニ。山陰沖で穫れる大ぶりのオスのズワイガニは特に「松葉ガニ」と呼んでブランド化しています。
イワガキは春から夏が旬です。「牡蠣といえば広島じゃない?」と思う人、品種が違います。煮ても焼いても、生でもいけます。日本海で育ったイワガキをぜひご堪能ください。
それから、宍道湖の特産はシジミ。シジミは、淡水と海水の入り交じった薄い塩分濃度でしか育ちません。宍道湖は全国有数のシジミの漁場として知られ、肉厚で実が大きいと言われています。味噌汁でいただくのが絶品です。
松江出身の世界的テニスプレイヤー、錦織圭選手の大好物としても知られるようになったノドグロ(日本海産のアカムツ)も山陰名産。焼いても美味しいですが、煮魚で食べるのがベストです。
いずれも東京では高級品で破滅的な値段になりますが、産地に近い松江ではよりリーズナブルな値段で楽しめます。
最後に、和の食文化で締めくくり
松平直政から7代目、不昧公の名で知られる茶人大名・治郷が広めたとされるのが、抹茶、和菓子、そして出雲そば。
松江は茶の産地ではありませんが、不昧公を始祖とする茶道「不昧流」が伝わるなどお茶の文化が盛んです。そして、茶菓子から発展した和菓子も有名。詳しく分からない人も、色とりどりの美しい和菓子の造詣を見るだけでも楽しめます。
それから、ぜひ食べたいのが出雲そば。江戸のそばと違い、色が黒く濃厚な味。ワサビを使わず甘めの汁でいただきます。
『真田丸』第39回「歳月」では、信之から送られてきたそば粉で作ったそばがきが大不評でしたが、出雲そばはちゃんと麺の形をしていますし、味も絶品です。
特徴的な割子そばは、不昧公が弁当箱にそばを入れたのが始まりという説もあります。寒い冬は、温かい釜揚げそばもおすすめです。