福島・南相馬ではたらく、くらす 大野祐子さんインタビュー
南相馬ソーラー・アグリパークで働く大野祐子さん(ゆうこりん)にお話をうかがいました。
ゆうこりんは、福島県の郡山市の出身。東京での暮らしをへて、南相馬にUターンしました。Uターンとはいっても、生まれ育った土地とはちがう新しい環境でのくらし。
ソーラーアグリパークの仕事、田舎で暮らすこと、それから将来の夢などを語っていただきました。
大野祐子さん(左)、ご主人の佐々木雄介さんと。
-南相馬ソーラーアグリパークで働き始めたのはいつですか?
2015年4月からです。なので、1年半くらいここにいることになります。
-どんなきっかけで働き始めたんですか?
自由大学の「東北復興学」という講義で出会った仲間と一緒に南相馬を旅したときに、今の職場である南相馬ソーラー・アグリパークの存在を知りました。
そのとき旅した南相馬の印象、それから代表理事の半谷(栄寿/あすびと福島代表理事)の志にひかれて、南相馬へのUターンを決めました。
-津波や原発事故の影響のある南相馬に住むことに抵抗は無かったですか?
私自身はどちらにも抵抗はありませんでした。でも、家族の反対はありました。やはり、放射能汚染に対する不安があったようです。家族には放射能の影響が無いことをきちんと説明して、納得してもらいました。
-東京では何をしていたんですか?
福島に戻る直前は、翻訳会社で制作ディレクターの仕事をしていました。
インバウンド関係の制作物や日本の漫画を翻訳してweb配信する事業のプロジェクトマネージャーをして、いろんな言語にまみれながら仕事をしていました。
進行管理、翻訳漏れが無いかなどのデザインチェック、営業にコンペに休み無しの生活でした(笑)。
-具体的にどんなお仕事をしているんですか?
南相馬ソーラー・アグリパークでの私の仕事は主に次の3つです。
・小中学生の平日の自然エネルギーの体験学習のファシリ―テータ―
・週末の市役所の委託事業の企画から運営
・県内の高校のフィールドワークのコーディネート
その他にも見学に来る方の案内や施設の清掃、「その時やるべきこと」が仕事になっています。
-ワークショップや研修はどれくらいの頻度でありますか?それが無いときはどんな仕事をしていますか。
今年は6月から12月まで全15回の再生可能エネルギー体験教室があったので、月1から2回のペースで週末ワークショップを開催していることになりますね。
平日には、企業の研修が2週間に一度のペースで入ります。
ワークショップや研修がないときは、基本的にはその準備を行ったり、その他の見学希望者のご案内をしています。
ワークショップや研修では、参加する人数や参加者が社会人か小学生かなどを考えたうえで、毎回、教室割りや机の配置を変えているので、意外と準備に時間を取られます。
あとは、週末のワークショップのチラシを直接学校に訪問して配布する仕事もあります。
毎日、何かしらの作業がありますね。
-南相馬ソーラー・アグリパークでの仕事で、いちばん印象に残っているのは何ですか?
昨年の12月に、南相馬に来て初めて企画から運営までを任された体験教室がありました。わたしにとって、再生可能エネルギーというのは南相馬に来るまでそれほど関心のある分野ではありませんでした。
それでも、子どもたちにとってよき学びの時間となるようなものを作らなければいけない。どうすればいいだろう、というもやもやを抱えながらスタートしましたが、開催した3日間とも満員御礼で、参加者から「満足した」という声もいただけました。最後には、達成感と喜びで心がいっぱいになりました。
-暮らし初めてから今まで、南相馬にもいろんな変化があったと思いますが、特に印象に残っているのは?
一番の変化は、避難指示が出ていた小高地区が2016年7月に避難解除になったことです。人が住む、住まないで街の雰囲気はこんなにも変わるものかと驚きました。
-生活で大変なことや逆に便利に感じることはありますか?田舎は物価が安いという印象を持つ人も多いですが、実際はどうですか?
週末は基本的に南相馬にいません。市内にみんなで集えるカフェやスペースが無いですし、好きな山歩きをするにも震災の影響で荒れている山が多いです。なので、買い物は仙台、山に行くなら会津の方へ行っています。楽しんでいるからいいですが、移動は大変です。
ただ、常磐自動車道があるので、車さえあれば仙台でも東京でも意外と楽に行けるので、その点は便利だなと感じています。
物価は一人暮らしであればあまり安さは感じないです。東京とは違って、車を持たないと生活できないので、維持費やローンが負担になります。
-将来の夢はなんですか?
福島に戻って、南相馬で働いて、つくづく感じたことは、街が発展して人が戻って来るには、戻ってくる人やいま住んでいる人たちが集える場所が必要なんだということです。
だから、いまは福島にゲストハウスをつくることが夢です。
これまで出会った人や福島に足を運びたいと思う人が自由に泊まったり、語り合ったりできる場所であり、自分自身も地域の住民としてしっかりと地に足をつけて生きていくためのゲストハウスをやりたいと思っています。
-どうしてゲストハウスをやりたいと思ったのか、もう少し詳しく教えてください。
南相馬に来てくれる友人がいても大勢は自宅に泊められないので、農家民宿に泊まっていただくようにしています。でも、田舎は車社会なので一緒にお酒を飲みながら語り合うようなことができません。一緒に泊まればいいんですけど、金銭的にも毎回は厳しいです。
福島には、豊かな自然や訪ねてほしいと思うようなとっておきの場所がたくさんあります。南相馬以外の場所もたくさん見てほしい。
でも、今の仕事を続けながらだと、どっぷり案内する時間が正直取れません。
福島に帰ってきてからの方が仲間と旅をする時間が減ってしまったことに、ずっと葛藤がありました。
それから、いまはアパート暮らしをしているのですが、これだと地域のコミュニティにまったく入っていけないんですね。移住者も含めて、地域の人が集まれるサードプレイスのような場所が南相馬にはありません。仕事は充実していますが、地域のコミュニティに入っていく、一緒に地域を盛り上げていくための入り口がなかなか見つからないことにもどかしさがあります。
これじゃあ、東京の暮らしとあんまり変わらない。
どうしようと思ったときに、「だったら自分でつくろう」という結論にたどりつきました。
そして、「福島に行くなら、ゆうこりんのところに泊まりに行こうよ」っていう、きっかけを生み出していければ、私が福島に戻ってきた価値が生まれるんじゃないかなあ、と。
-ゲストハウスはどこでやろうと考えていますか?
いろいろと悩みましたが、どうせやるなら今いる場所にこだわることはない。福島の中で自分のいちばん好きだと思える場所でやろう、と思いました。自分の大好きな山に近い場所でやろう、と。
具体的な場所はまだ決めていませんが、会津のどこか、西会津の方というのはだいたい決めています。
今年は時間があるときに、昭和村のゲストハウスとか西会津の芸術村など、自分のアンテナに引っかかったところに遊びに行っています。
最終的には、自分のアンテナが合うところに落ち着けたらいいな、と思っていますね。
ゲストハウスができれば、外から地域に人が来るきっかけになる。
日本中あちこちでやられていて、すっかり当たり前のようになってきた方法かもしれないけど、福島にはまだそれが根付いていないように感じます。だからこそ、チャレンジしてみたいと思っています。