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神在月ってなんですか?縁結び、出雲王朝からハロウィンまで(中編)

旧暦の10月は神無月と呼ばれますが、出雲地方でだけは神在月神有月)と呼んでいます。毎年旧暦の10月になると日本各地の神さまが一斉に出雲大社に集まり、日本中で神さまが「無」くなり、出雲にだけ「在」るためだと言われています。

ここからは、神在月の由来について探っていきたいと思います。

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 (前編はこちら

 

古代出雲王朝説

遙か昔、邪馬台国よりもさらに古い時代、出雲が日本の中心だった時代があったそうです。この頃の出雲の権力の源は鉄。土や石の中に含まれる鉄の成分から純度の高い鉄の塊を精錬する技術が日本列島にまだ無かった時代、朝鮮半島からの鉄の輸入を独占し、日本中に分配していたのが出雲でした。

 

そして、鉄の分配について話し合うために、年に一度、日本各地の有力者が出雲に集まっていいました。この会議の主催者が大国主命と呼ばれる出雲の王でした。

 

この時代の記憶が、「日本中の神々が出雲に集まり会議を行う話」として伝わったのが、神在月のルーツである、という説があります。

 

この説がどこまで本当か分かりません。しかし、最近の研究では、邪馬台国より前の弥生時代末期に出雲に巨大な勢力があったのは事実だろう、といわれています。

 

山陰地方と北陸地方に特有の四隅突出形墳丘墓という巨大な墳墓があります。これは、出雲を中心とした日本海側の地域連合体のシンボルであると考えられています。そして、吉備や大和に先駆けて、「古墳的なもの」を造る社会システムができていた、とも考えられています。

 

また、弥生時代の鉄の出土分布を見ても、1世紀から2世紀頃に日本海側を中心に、半島から鉄を輸入する地域連合があり、その中心に出雲があったという仮説に矛盾しないという結果が出ています。

 

御師による創作説 

残念ながら、出雲大社に神さまが集まるという話は室町時代の記録には見られるものの、それ以前までさかのぼることはできません。

 

中世から江戸時代にかけて、各地の神社では「御師」と呼ばれる布教者が活躍していました。全国を回って、神社のお札を売って歩きます。また、神社への巡礼をうながし、宿泊などの手配をしたりもします。

江戸時代に流行した「伊勢参り」もこういう信仰活動が娯楽化したものでしょう。

 

古代には社領と呼ばれる領地を持っていた大きな神社が、中世以降、社領を武士に横領され、神社経営が厳しくなった。そこで、新たな経営基盤として編みだしたのが、御師を使った庶民への布教活動だろうと考えられます。

 

庶民に信仰を広めるにあたって重視されたのが「御利益」です。もともと神社は地元限定のもので、特定の御利益をうたっていなかったのですが、全国区で勝負するためには特定の専門分野での御利益でアピールする必要が出てきます。

 

出雲大社の場合は「縁結び」。布教活動にあたって、御利益の由来に箔をつけるために「神在月には日本中の神さまが出雲に集まる」という話が創作された、という説があります。

 

セールスのための作り話と考えると寂しいですが、少なくとも日本全国に神在月の話が知られるようになったのは、御師の活躍によるものであるようです。

 

 民俗学的な解釈

神在月の話を、「日本全国から神さまがいなくなる話」と「出雲に神さまがやってくる話」の二つに分けてみます。

 

農事暦では、春になると山の神さまが田んぼに降りてきて田の神になり、冬になる頃に田の神さまは山に帰って行く、と伝えられています。田の神さまが山に帰るのがいつであるかは地域によって異なりますが、おおむね、田畑の収穫が終わり冬になる頃、つまり神無月の頃ではないかといわれています。

 

つまり、神無月の頃、「日本全国から神さまがいなくなる」わけですね。

 

蛇足になりますが、今年の奥出雲地方の新蕎麦の解禁は、神在月直前にあたる10月29日でした。稲刈りが終わり、雑穀の収穫も終わる頃、神無月/神在月になる、というのが自然な暮らしのサイクルだったのではないかと思います。

 

農耕民の信仰では冬になると神さまがいなくなります。一方、それより古い時代の信仰には、日が短くなり陰の気が伸長する冬になると、この世のものではないものが越境してこちら側の世界に現れる、という考え方があるのだそうです。この場合の「この世のものではないもの」は、魔物だったり幽霊だったり神だったり、それらがごちゃ混ぜになったものだったりします。

 

日本には、祖先が帰ってくる日としてお盆がありますが、これが夏の行事になったのは仏教の影響によるものです。ヨーロッパの古い民族であるケルト人の信仰では、祖先が帰ってくるのは冬のはじめとされているそうです。実はこれがハロウィンの原型です。

 

時期は少しずれますが、「なまはげ」も冬の季節にあらわれる異界からの訪問者ですね。

 

日本では痕跡がほとんど見られなくなってしまいましたが、冬の始まりの頃に「神さまがやってくる話」が古い信仰として伝わっていた、と考えることはできると思います。

 

つまり、もともとは別の信仰だった「日本全国から神さまがいなくなる話」と「出雲に神さまがやってくる話」が合わさることで、神在月の話ができたのではないか。そういう説もあります。

 

後編では、竜蛇伝説、ハロウィン、新嘗祭の謎に迫ります。)