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汽水域 Ki-sui-iki

ローカルとオルタナティブ 浸透し混じり合うところに生まれる生態系

【真田丸】三谷幸喜に黙殺された悲劇の一族を脳内ARせよ!そして、松江にいらっしゃい。

みなさん、『真田丸』観てますか?

 

真田といえば松江ですよ!

 

11/17のNHK BSプレミアムの歴史バラエティー番組『英雄たちの選択』は、「決戦!真田丸 父の教えか?兄弟の葛藤か?真田信之の決断」というテーマでした。『真田丸』を盛り上げようという企画ですが、主人公はお兄ちゃんの信之。華々しい信繁(幸村)の戦いの陰で、もう一方の真田である信之の一族と家臣団を守るための戦いを取り上げたものでした。

 

 

番組の中で信之とは直接関係ない真田丸の姿を描いた新資料発見の話題が取り上げられていました。(【新発見!!!】松江歴史館で「真田丸」詳細絵図が見つかりました | 松江歴史館 - 松江城東隣・松江の歴史を紡ぐ場所 -)『極秘諸国城図(ごくひしょこくしろず)』という江戸時代に描かれた絵図です。

発見されたのは、真田とまったく関係無さそうな島根県松江市松江歴史館の特別展で11/6まで展示されていました。

 

後世の真田人気にあやかって真田丸を描いた絵図はたくさん残されていますが、こちらの絵図は実際に現地で見た人の情報で描かれた可能性が高いのです。

というのも、のちの松江城主・松平直政は大阪の陣が初陣。兄である越前少将忠直の陣に加わっていました。そして、大坂冬の陣真田丸攻撃の主力となったのが越前隊。夏の陣で信繁(幸村)を討ち取ったのも越前隊です。

そのあたり、『真田丸』では完全スルーされておりますが。

 

松江の家来の中には、このとき直政とともに真田と戦った武士が大勢いたわけです。なので、実際に真田丸を攻めるつもりで偵察した人の情報に基づいて描かれた、信頼性の高い絵図だと考えてもおかしくないでしょう。

 

ちなみに松江城には「真田幸村の軍扇」なるものも伝わっています。これは、信繁(幸村)が守る真田丸に対して勇敢に戦いを挑む少年武将・直政の姿に感動して、信繁(幸村)が砦の中から投げてよこしたものと伝えられています。

もっとも、こちらの場面も『真田丸』ではスルーされておりますが。

 

因縁めいた話をもうひとつ。

 

忠直・直政兄弟の父は、徳川家康の次男・秀康です。2代将軍・秀忠の兄にあたります。彼は、小牧長久手の戦いの後、秀吉の養子となって大阪で成長しました。人質の側面もありますが、立場的には豊臣秀次小早川秀秋宇喜多秀家などと同じ。次世代の豊臣家を支える若い武将として英才教育を受けたであろうと思われます。

徳川一族の中では豊臣家に対するシンパシーが強かっただろうと思われる秀康ですが、関ヶ原の戦いでは父・家康の東軍につきます。そして、会津・上杉家に対する殿軍という大任を果たします。

戦後は越前に領地を持つ大大名になりますが、それと同時に将軍を狙える血筋と実力を持つという政権中枢側の疑心暗鬼を招きやすい微妙な立場に立たされます。

 

秀康は武勇と知略では将軍・秀忠を上回りながら、その実力を発揮できずに生涯を終えた悲劇の武将とも言われています。太平の世に武勇と知略を発揮してしまってはいけないわけで、お家安泰のために忍耐と犠牲を強いられたという意味では、真田の兄・信之と似たところがあるかもしれません。

 

そんな秀康は信繁(幸村)の大阪時代に大阪城内で暮らしていますから、二人は顔を合わせていた可能性が高いのです。東国出身で豊臣と徳川に引き裂かれた者同士、そこに友情めいたものが芽生えたとしてもドラマであれば許されるでしょう。その秀康の息子たちが大阪の陣で信繁と直接戦うわけですから、因縁を感じずにはいられません。

そこらへんも『真田丸』ではスルーされておりますが。

 

脚本の三谷幸喜に完全に黙殺された悲劇の名将・松平秀康とその息子たち。彼らが登場した方がドラマの最終盤が盛り上がりはずです。

もしも脳内でARが可能な人は、ぜひ『真田丸』に秀康一家を合成してみてください。

 

そして、松江へいらっしゃい。

 

※『真田丸』ファンの後押しで、真田丸絵図の再公開が決まりました。

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